ニッケイ新聞 2013年4月25日
州都第一コマンド(PCC)との抗争、〃暴力の波〃といった表現が新聞紙上に出る事が減ったが、大サンパウロ市圏で起きた軍警による殺害事件に関する報道が、24日付エスタード紙と各紙サイトに掲載された。
エスタード紙の報道はグアルーリョス市(GRU)で暗躍する軍警の殺人集団に関するもので、サイトの方は、今月17日にオザスコとカラピクイーバで起きた殺傷事件に関するものだ。
GRUでの軍警による殺害事件は2012年6月23日〜13年4月に23件起きたとされ、その犠牲者は35人、負傷者も17人。この数は、同市での殺人事件犠牲者の21%に及ぶといい、事態はかなり深刻だ。
市警によれば、犯罪に絡んでいるのは31大隊と44大隊の警官達。PCCによる警官殺害への復讐だというが、犠牲者は、犯罪者や麻薬売買の場に頻繁に現れる人物とは限らず、犯罪者の自宅周辺の住民や通りがかりの人も巻き込まれている。
捜査の鍵を握るのは防犯カメラの映像で、2月26日の事件では、44大隊のパトカー通過から数分後に現れた銀色のCeltaから降りた男性3人が、バールの番をしていた兄弟2人を射殺。
犯行中に路上に現れた人物2人も、口封じのために銃を向けられ、1人が死亡。もう1人は銃が不発で、逃げおおせた。3人の1人は外観上、ユニフォームの上に雨合羽を羽織っていたらしく、犯行直後に現場を通ったパトカーは現場に残る死体には目もくれずに走り去ったという。
12年11月20日の事件は、18日に軍警が死んだ地域で起き、19日にあるバールでシュラスコをやっていた住民に近づいた軍警達が「軍警の死を祝っているのか」と質問。更に「すぐ止めろ、さもなくばバイクがやってきて皆殺しにされるぞ」と警告した。
バールの主人らが忠告を無視したところ、20日に2人乗りのバイクが現れ、居合わせた人に銃を乱射。1人が死亡、4人がケガをした。
12年11月10日には、犯罪者が出入りしていたピツァリアの息子が警官に追われて家に逃げ込んだが、廊下に追い詰められて死亡。扉を突き抜けた流れ弾は、居間にいた母親の命も奪った。
グアルーリョスの事件ではまだ誰も逮捕されていないが、オザスコとカラピクイーバの事件では軍警2人が逮捕された。カラピクイーバでは2カ所で6人が撃たれ、3人が死亡、オザスコでは4人が撃たれ1人が死亡しており、すべての現場で銀色のVectraが目撃されていた。軍警達は忍者風の被り物と、現場に残っていた弾と同じ銃に使用可能な弾丸を所持していたという。