ニッケイ新聞 2013年4月26日
日本語普及センター元理事長、柔道の講道館8段・ブラジル9段の柳森優さん(92、熊本)が先頃、自伝『新青雲』を刊行した。貴重な体験談が満載された自分史だ▼今ではリオ五輪でメダルを狙える花形競技として大注目を浴びる柔道だが、かつて畳がない時代には茅を敷いたり、ノコクズを製材所から貰って広げたり、古タイヤを細切れにして、その上からキャンバスを張って畳の代わりにしたとある。日本製の柔道着が手に入らない時代にはメリケン粉の袋を使って自家製したとも▼戦前から柔道を始め、1949年から本格的に指導を始めたという柳森さんだけに、まるで当地柔道史を体現したような経験ばかりだ。「サッペ小屋から始まったブラジルの柔道も今や世界の強豪と争う」と変遷を振り返り、「ブラジルに最初に柔道を紹介したのは移民、現在のブラジル柔道界を見て感無量です」と締めくくる▼一方、戦前のこんな逸話も。41年初めに父から「徴兵検査の年齢になったから、帰国して日本人としての義務を果たしたらどうか」と手紙が来た。当時作っていた棉の値段が悪く帰国は難しかったが、ようやく決断した。その直後に姉が妊娠し盲腸炎に罹って入院したので、帰国を延ばしたら真珠湾攻撃…▼終戦後5年目に兄からの便りで、42年に父が死んでいたことが分かった。いわく「父が死ぬ直前、優の名前を3回呼んで息絶えた」という。妹はそれを聞いて「悲劇ですね」と落胆したという▼柳森さんの著書に興味のある方は本人(11・3681・8790)まで連絡を。皆さんもぜひ自分史を書いて弊紙まで。(深)