ニッケイ新聞 2013年3月8日
1963年2月、韓国政府が正式に送り出した最初の移民百人が乗り込んだオランダ船「チチャレンガ号」がサントス港に到着して50年目の今年、韓国コロニアは3・1独立記念日の1日、サンパウロ州議会で移民50周年式典を挙行した。
会場は一世やその家族でほぼ埋まった。テレビ番組で生中継を行う準備が遅れたため、約1時間遅れの8時すぎから式典は始まった。
両国歌斉唱で始まり、コロニアの歴史を伝える写真がスライドで流された後、来賓らのあいさつ、伯韓議員連盟代表のシセロ・ルセーナ上議らの祝辞代読と続き、初期移民に対する表彰状などが贈られた。
壇上には式典を主宰したベト・トリコリ州議(PV)、パク・サンシク在聖韓国総領事、ブラジル韓国人協会(Associacao Brasileira de Coreanos)のリー・バクスー会長が並び、伯韓議員連盟名誉会員のウィリアン・ウー元下議ほか関係政治家が参列した。
トリコリ州議は「50年で育まれた両国間の友情は厚い。韓国の技術はいつも我々の身近にあり、ブラジルへの貢献は大きい。これからもさらに多くの企業の進出を期待している。近い将来、韓国系議員の当選もありうるだろう」とのべ、ウー氏は今年からサンパウロ大学に韓国語コースが設置され、セアラーやサンパウロ、南大河各州に巨額の投資がされている例などを挙げ、友好関係を強調した。
パク総領事はパク・クネ新大統領からのメッセージを韓国語で代読し、式典の合間には韓国の民族衣装チマチョゴリを来た20人ほどの婦人たちの合唱団が美しい歌声を披露し、4つの打楽器を使った古典芸能サムルノリが賑やかに会場内を沸かせた。
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韓国人のブラジル上陸は1923〜26年にかけ、日本の統治下にあった時代に日本のパスポートを持った数人が来伯したことに遡る。
63年2月にブラジルの地を踏んだ百人の移民のうち5家族が、現在のグアラレマ市にかつてあったアリラン農場に38アルケールの土地を購入したことがわかっている。
翌年には第二次移民として68家族480人が来伯し、その後も複数の移住事業を経て1970年には235家族1300人の技術移民が飛行機で移住した。
主にサンパウロ市に根付き、現在約6万人いる移民とその子弟のうち7割が服飾業界に従事しているという。子弟らは大学教員や弁護士、医師、音楽家、公務員などさまざまな専門職で活躍しており、母国からはLG、ヒュンダイ、サムスンなど100を超える企業がブラジルに進出している。