ニッケイ新聞 2013年3月14日
小宮は単刀直入に訪問の理由を両親に告げた。
「何故、結婚を許してくれないのですか。私が被差別部落の出身だからですか。部落だと何故、いけないのですか」
小宮は冷静に感情を抑制した声で聞いた。だが視線は武政太一を鋭く睨みすえたままで、目は怒りに燃えていた。
武政もまた小宮の視線に身動ぎもせず、視線をそらすこともなく黙って小宮の話を聞いていた。
「あなたと一緒になれば娘は精神的苦痛を味わうことになり、親としては娘に余計な苦労はさせたくない」
「私には彼女を幸福にする自信もあるし、世間並みの生活をさせるくらいの経済力もある。何を根拠にそんなことをおっしゃっているんですか。理解できません」
「はっきりお答えしたほうがいいだろう。私には代々続いてきたこの家を守っていく義務があるんだ。あなたと佐織の結婚を許せば、私はこの家の祖先に対して申し訳が立たない。娘との結婚は諦めてほしい。とにかく結婚は認められん。謝れと言うなら、謝る。金銭的な償いもさせてもらう」
「そんなものが欲しくてここに来たわけではありません」小宮の口調が激しくなった。
二人のやり取りを黙って聞いていた母親が止めに入った。
「あなたほどの男性なら、いくらでも良い女性と結婚できるでしょう。佐織とは縁がなかったと思って諦めて下さい」
奥歯にもののはさまったような言い方を続ける両親に、小宮の怒りが爆発した。
「私が被差別部落出身ということで許せないのですか」
二人は黙ってしまった。
「部落の人間と結婚なんかさせられるかとはっきり言ったらいいだろう」
吐き捨てるように言い放って小宮は席を蹴った。小宮の怒鳴る声に二階にいた佐織が青い顔をして下りてきた。
佐織を一瞥もせずに小宮は車を発進させた。
激しい怒りが突風に煽られた炎のように込み上げてくる。しかし、その憤りをどこにぶつけたらいいのか。小宮自身に欠点があるのであれば、いくらでも納得できる。しかし、結局は部落と呼ばれる地区に生まれたという理由しかなかった。二度と這い上がることのできない泥沼に落ちていく、そんな絶望感を小宮は覚えた。
梅雨が終わろうとしているのか、激しい雷雨の後、真っ青な空が広がった。あれから二ヶ月近くが経過するが、佐織からは何の連絡もなかった。小宮の方からも電話をすることはなかった。小宮は車窓に広がる雨にぬれた田園風景と青空をぼんやりと眺めていた。その日、小宮は東京・四谷にある国際協力事業団の講演会を聞いた帰りだった。講演会の後、映画が上映された。
講演の内容はブラジル移住についてで、日本人の移住の歴史や現在では農業移民に代わって技術移民が求められていることが語られた。映画はブラジルの現状を紹介するもので、サンバが全編に流れていた。その激しいリズムが小宮の耳にまだ残っている。
小宮がブラジル移住を知ったのは偶然だった。仕事で市役所に車庫証明を取りに行った。掲示板に海外青年協力隊募集のポスターが貼ってあった。それには応募資格のある業種と派遣国が記されていた。小宮は食い入るようにそれを見ていたが、やがて応募要項を手帳にメモした。
海外に心引かれたのは、やはり佐織とのことがあったからだろう。あからさまな部落差別を受けたが、抗議らしい抗議も小宮にはできなかった。愛している女性からも結婚の条件に養子に出るようにも言われた。差別に対してまったくなす術がなかった。
やり場のない怒りと諦めだけが小宮の心に鉛のように蓄積していった。そんな時にポスターを目にしたのだ。海外派遣という文字が、夜行列車の車窓から見える遠い町の灯のように、小宮には感じられた。どんな手段でも構わない。とにかく部落という得体の知れない重荷から解放されたかった。
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