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連載小説=移り住みし者たち=麻野 涼=第36回

ニッケイ新聞 2013年3月20日

 フスキンニャはアチバイアで高速道路を下りた。車は大きく楕円を描くインターチェンジから市内に向かって走り続けた。サンパウロに来てから取材先と言えば、在サンパウロ日本総領事館、移民の送り出し機関でもある国際協力事業団サンパウロ支部、それに日系社会最大の組織である日伯文化協会、日系人の医療、福祉を担う援護協会、あるいは移民の出身県別に設立された親睦団体の県人会などである。
 外回りを許されると毎日のようにこれらの取材先を回った。最初のうちはそこで耳にする話は物珍しさも手伝って夢中でメモを取っていたが、サンパウロの生活に慣れるにしたがって記事にならないとりとめのない話であることがわかってきた。そんなこともあって地方出張の取材は優先的に回してくれるように編集長に直談判をした。東京に戻るということは最初からの約束だ。編集長は帰国後支局の運営に当たってほしいという思いがあり、そのためにも可能な限り地方回りをさせた方がよいと判断し児玉の申し出に同意してくれた。
 アチバイアは街路樹の多い静かな街だった。市内には日本人の名前のバールや雑貨店がいくつも見られた。アントニオは教会の前に車を止めた。どこの街でも教会は街の中心部にあり、彼はそこで日本人会館の場所を尋ねた。
「オンジ・フィカ・カイカン・ド・ジャポネース?(日本人会館はどこにある)」
 道を聞かれたブラジル人は、大袈裟なジェスチャーを交えながら道順をアントニオに教えていた。児玉は助手席で二人のやり取りを聞きながら、カイカンは会館のことだとわかった。日系人の多い地域では日本語がポルトガル語化しているのだ。
 会館は教会のすぐ近くにあった。アントニオは街路樹の木陰にフスキンニャを止めた。会館には続々と日系人が集まってきていた。会館入り口で受付の若い女性に名刺を差し出した。黒人とのメスチッサ(混血児)なのか、長い髪にも独特のウェーブがかかり肌は浅黒く日本人の特徴よりも黒人のそれの方が強く現われている。
 名刺を受けとると、「どうぞ、こちらへ」と流暢な日本語で児玉を館内に案内した。バレーボールコート二面ほど広さの会館には、地元市会議員、有力者や日系人が詰めかけてテープカットを待つばかりだった。彼らはウィスキーやビールが注がれたコップを手にしながら、何ごとかしきりに話し込んでいた。
 メスチッサの受付は体格のいい日系人のところへ児玉を案内すると、その男性にそっと耳打ちした。男性は即座に右手を差し出し握手を求めてきた。
「ご苦労様です。アチバイア日系人会の会長をしている高崎といいます」
 児玉もようやくブラジル式の挨拶に慣れてはきたが、すぐにお辞儀をする癖は簡単には直りそうにもなかった。会釈した後、児玉は握手した。高崎の握力は強く指も関節が異様に節くれ立って、開拓、開墾を長く続けてきた農民の手だった。
「ずいぶん盛大なイナグラソン(落成式)ですね」
 児玉も日系社会の取材になれてきたのか、日本語とポルトガル語が交じり合った日系コロニア(日系移民社会)語を自然に使うようになってきた。
「ゆっくりしていって下さい」
 高崎は他の来客の相手をしなければならないのか、その場を離れようとした。
「会長、後で結構ですから、挨拶文のコピーをお願いします。それと人を探しているんですが……」
「コピーとアチバイア日系人会の簡単な歴史をまとめた資料は事務局の方に用意してあります。で、探している人というのは」
 高崎は児玉の尋ね人に興味を抱いたのか、ビールを飲みながら聞き返してきた。
「私はパウリスタ新聞の呼び寄せでブラジルに来たばかりなんです。大学時代の友人からアチバイアにいるいとこに会うように頼まれたんです」
「アチバイアの人間なら大体知っています。その方の名前は」
「折原といいます」
「福岡出身の折原さんですか……」


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