ニッケイ新聞 2013年3月21日
高崎は一瞬怪訝な表情を見せたが、すぐに温厚そうな会長の顔に戻った。
「折原の親父さんはまだ来ていないが、長男がどこかにいたな……」
会長は広い会場を見回した。相手はすぐに見つかった。「あそこにいた」と一人つぶやき、「折原君、ちょっと」と、会場に響き渡る大声で呼んだ。
その声に畑からそのまま駆けつけたような野良着姿の男が振り返った。汚れ切ったズボンにTシャツで、シャツも何度も洗ったのか、首の部分がだらしなく広がり色も黄ばんでいた。折原はビーチサンダルをスタスタと音を立てながらやって来た。
「会長、何か」
「こちらはパウリスタ新聞の児玉記者、君のいとこと同級生だということだ」
「はあ」
折原は話が呑み込めないのか、曖昧な返事をした。
「私はこれで」
会長はその場を離れていった。
「児玉といいます。早稲田大学であなたのいとこの勇作君と一緒でした」
「そうですか」
折原は懐かしい友人に再会したような笑顔を見せた。
「勇作と一緒の大学ですか。彼は元気ですか。もう何年も連絡をとってないから」
「春には大学を卒業し、出版社に入社すると思います」
「勇作は子供の頃から本が好きで、早稲田に入って、将来は小説家になるんだと言ってましたが……。あいつ憧れの早稲田に入ったんですね」
「ええ」
児玉は折原勇作が子供の頃から早稲田大学に入りたがっていたことを、その時初めて知った。
二人はしばらく立ち話をしていたが、会場の入り口がざわめいた。アチバイア市長が到着したのだ。
「始まりますね。あとでゆっくり話をしましょう。市長の挨拶と高崎会長の話を聞けば取材は終わりますから」
「わかりました」
式は市長と高崎会長のテープカットから始まった。取材にはパウリスタ新聞と同じ日系人向けの日伯毎日新聞、サンパウロ新聞の記者も来ていた。写真はテープカットの様子と市長、会長の顔写真を押さえておけば十分だった。
困ったのは挨拶だ。ブラジル人のスピーチは始まったが最後、終わりがない。会場ではほとんどのものがグラスを片手に、飲み、食い、仲間同士で語り合っている。市長のスピーチも会場にきているものにとってはBGMでしかない。そのあたりは市長の方も先刻承知で、だれも聞いていないことを知りながら、時には大声を張り上げて客の注意を引き付ける。しかし、それも束の間で、再び会場は雑談の渦に変わる。市長のスピーチがようやく終わり、次に高崎会長が挨拶にたった。
会長は一世だがブラジルでの生活の方がはるかに長い。生活習慣もブラジル流になるのか、彼も手短に挨拶をまとめようなどとは思わない。彼も果てしない演説を始めた。
児玉は会長の写真を撮影すると折原を探した。彼は会場の隅で相変わらずビールを飲み続けていた。
「折原さん、出ましょう」
「取材の方はいいんですか」
「ええ、終わりました」
児玉は事務局で資料をもらうと、アントニオを探した。彼は車を街路樹の木陰に止め、パーティー会場からビールとサンドイッチをちゃっかりと持ち込んで、車内で頬張っていた。児玉が近づくと、口の中のものを胃に流し込むようにビールを一気に飲みほした。
「もう取材は終わったのか」
「これから知り合いの日本人の家に行く」
児玉がフスキンニャに乗ると、後ろでクラクションがなった。折原が自分のトラックを運転していた。
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