ニッケイ新聞 2013年3月28日
彼女を除き従業員はわずか9人。「皆30代で、私は母のような存在。自分が偉いと思ったら自分が損する。会社の中では皆対等。対外的には私が社長ということになっているけどね」と笑う。
差し出された名詞に肩書きはない。一人一人が自信とモチベーションを持ち、個性を発揮しながら働ける会社、それが彼女の考える「成長する企業」のあり方だ。
週に一度の会議では、「一人一人に責任を持たせたい」と、各自に問題解決法や新たな方針を考えさせる。自分は出された意見に口添えをするだけ。「社員一人一人が独立してやっていく力を持っている」と信じる。
問題が起きると、即集まり話し合って解決。そんなやり方を「ざっくばらんだけど、組織立っている」と評価する同社の創始者ロドリゴさんは、「アンジェラは明確なビジョンを持ちながら、社員に自由や貴重な経験、人との繋がりを与えてくれる」と語る。
事業は徐々に軌道に乗り、今月はすでにロンドンに、年内には米国にも拠点開設を予定する。〃第二のアヴァイアーナス〃誕生に期待がかかる。
ブラジル人になりきれ〜祖父 長末さんの教え
こうしたビジネス観を、彼女は平田家という土壌で培ったという。親たちは、いつも子どもたちに「自分の好きな道を選べ。でも選んだことに責任を持て」と教え、自立を促した。
「皆の力を合わせればもっと大きいことが出来る」と、和の大切さを教えたのは祖父・長末さん。大阪で米問屋を営んでいたが、1929年、11歳だった平田さんの父を連れて渡伯した。マリリアに入植し、コーヒー農園、後に綿栽培にも手を広げ製粉工場も開いた。フェスタの時は牛を一頭使い、現地の従業員も呼び皆にご馳走をふるまう公平な精神の持ち主だった。
日本の敗戦を機に平田家も、多くの移民家族がそうだったように永住を決めた。祖父は幼いアンジェラさんたちに、「あなたたちはブラジル人になりきりなさい。島国根性を持っては駄目だ。ただし、日本に平田家という根があることは忘れてはいけない」を口癖のように言い聞かせ、「教育がしっかりしていれば生きていける」と教育には労苦を惜しまなかった。
それは日本語教育も例外ではなかった。長女のアンジェラさんをはじめ13人の子どもたちは、日語学校に通いながら、祖母が持ってきた女学校の教科書や、毎月日本から取り寄せていた漫画雑誌「少女クラブ」「少年クラブ」で日本語を学んだ。
祖父、父共に日語学校や野球チームを作るなど、日系社会との関わりが強かった一方、「日本人の中に入ると殻に閉じこもってしまう」と、子どもたちは日本人会に所属させなかった。
「祖父は『島国根性を持つな』と言った。あれはきっと、広大なブラジルにいるのだから、開放された気持ちでやれということ」。そんな想いを大事にしてきた。
「大きく楽しく生きていかなきゃ自分が損するでしょ」。大らかに広がる笑顔が、その生き方、ビジネス観を物語った。(終わり、児島阿佐美記者)