ニッケイ新聞 2013年2月2日付け
南大河州サンタマリア市で1月27日未明に起きたナイトクラブ火災では236人が亡くなり、124人が入院、うち70人以上が重態というブラジル史上最悪の惨事の一つになった。その現場には日系人が何人もいて痛恨の思いで必死に役割を果たしていた。世界に報道された大事故の現場で、いち早く駆け付けた日系市警が見たものは何だったのか。最も犠牲者が多かった大学の学科責任者はどんな想いで遺体確認に望んだのか——。
27日日曜未明たまたま当直として現場からの通報を受け、最初にボアッテに急行したのは下村カオル・エリザベッチ捜査官(41、三世)だった。「あの光景は生涯忘れることはできないわ」と本紙の取材に辛そうに語った。
「最初は死者20人との通報でした。それだけでも惨劇だと分かり、直ぐに上司に連絡し、部下と共に現場に向かいましたが、現実はそれを遥かに凌駕する惨状でした。遺体を市立体育館に運び出して本人照合、遺族への連絡を担当しました。ご両親に伝えるのは本当に気の重い仕事でした。日曜夜中までかかり、まったく終わる気がしない、長い、長い一日でした」。同捜査官の生まれは同州海岸部オゾリオ市で警察勤務歴9年。弟は地元で相撲の選手だ。
犠牲者のうちサンタマリア連邦大学の学生は113人と突出して多く、中でも農村科学センター(CCR)が64人と最多だ。そのうちの26人、つまり最多の犠牲者を出した学科が農学コースで、その教育コーディネーター(責任者)が西島トシオ教授(52、二世)だ。
西島教授はサンパウロ州ドアルチーナ市生まれで日本語会話も可能。熊本県出身の父ノリヨシさんがウジミナスで働き始めた関係で幼少期をミナス州イパチンガで過ごし、後に父がリオのジャミックに転職したのを受けて、リオ連邦農学大学(UFRRJ)へ進学した。サンタマリア連邦大学で大学院を修了し、教職に進んだ。どの農学部の教授陣にも日系人が多いことは有名だが、同大学も例外ではなかった。水利工学や灌漑の専門家で、環境問題にも詳しい。
米国ウォール・ストリート・ジャーナルの1月29日付けサイト記事によれば、事故当日未明に西島教授宅の電話が鳴り、大学職員が「本人確認を手伝いに、仮設遺体安置所になっている市立体育館まで来てくれ」と要請してきた。「まったく悲惨な光景だった。その遺体安置所にいた時、二十歳ぐらいの知らない青年の遺体のズボンのポケットに入っている携帯が鳴り、いつまでたっても止まなかった。ふと、その携帯を取り上げると表示にはPAPAIとあった」とのエピソードを報じた。
西島教授は本紙の電話取材に応え、「我々のコースには640人の学生がいる。残された我々が、亡くなった彼らの分までがんばらなくては。言葉だけではなく、しっかりと傷心の学生を抱きとめてエネルギーを伝えたい。父から『竹はどんなに強い風が吹いても靡くだけで倒れない。そんな強い男になれ』と言われて育った。今こそ父の教えを実践したい」との強い想いを語った。