ニッケイ新聞 2013年2月5日付け
4月21日に行われるパラグアイ大統領選候補で、同国3位の勢力を誇る倫理市民連合党(Unace)創設者のリノ・オヴィエド氏(69)が2日夜、ヘリコプターの事故で死亡したと4日付伯字紙が報じた。
オヴィエド氏は、同国北部のコンセプシオンでの選挙活動を終え、2日夜、首都アスンシオンに帰るところだったが、操縦士が「悪天候を避けるためにコースを変える」と連絡したのを最後に通信が途絶え、航空当局が夜半に警告を発した。
同氏が乗ったヘリの残骸は3日に見つかり、同氏とボディーガード、操縦士の3人の死が確認されたが、オヴィエド派の人々は「ヘリコプターの事故は悪天候によるものではなく、政治的な意図で計画された」との見方を示している。
ヘリの事故が起きたと見られる2月2日は、1954年〜1989年の長きにわたるアルフレッド・ストロエスネル独裁政権に終止符を打った、陸軍のアンドレス・ロドリゲス将軍によるクーデター勃発日で、死亡確認の3日はストロエスネル陸軍総司令官がブラジルに亡命した日だ。
オヴィエド氏はロドリゲス将軍のクーデターに参加した軍人で、クーデターが続いた1980〜90年代の政権転覆にたびたび関与した。1989年の独裁政権崩壊後、最初の大統領となったロドリゲス将軍が1992年に民主主義移行のために新憲法を公布。同憲法に則った1993年の選挙で大統領になったフアン・カルロス・ワスモシ大統領から陸軍司令官に任じられたが、1996年にクーデター未遂事件を起こして投獄され、1998年の大統領選出馬の権利を失った。
98年選挙ではオヴィエド氏に代わって出馬したUnaceのラウル・クバス氏が当選し、恩赦を得たが、99年に反オヴィエド派のルイス・アルガーニャ副大統領が暗殺されてクバス大統領が引責辞任してブラジルに亡命すると、オヴィエド氏もアルゼンチンに亡命、後にブラジルに身を寄せた。
オヴィエド氏はパラグアイに戻った2004年に逮捕されたが、2007年に軍法廷で政治的迫害被害者とみなされ、免罪となった。被選挙権復帰後の2008年大統領選では3位だった。
Unaceは2012年6月のフェルナンド・ルーゴ大統領弾劾裁判で反体制派につき、軍政打倒の立役者の一人として人気のあったオヴィエド氏も党首としての影響力を保持していたが、近年は麻薬組織との繋がりや密輸、資金洗浄などの疑惑も浮上。今回選挙も当選は疑問視されていた。
なお、パラグアイは4月の選挙後、メルコスルなどに正式復帰の予定。