ホーム | 連載 | 2013年 | 《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談 | 《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談=第12回=子供にケンジ、アイン名=引き継がれた山崎の〃業〃

《戦後移民60周年》=聖南開拓に殉じた元代議士 山崎釼二=『南十字星は偽らず』後日談=第12回=子供にケンジ、アイン名=引き継がれた山崎の〃業〃

ニッケイ新聞 2013年2月16日

孫アイン(本人の承諾によりFacebookから転載

孫アイン(本人の承諾によりFacebookから転載

 人文研の松阪が教えてくれた情報とは「アイダ・ゴメス・デ・アルメイダ・ヤマザキ・ローザ」がリオ連邦大学工学部大学院で11年9月に出した論文だ。その前書きに両親名としてテレザ、サンナン、兄弟名としてケンジ、サンナン・ジュニオルと書かれている。山崎とのつながりを連想させる名前だ。
 テレザ名を電話帳で探すと、ゴイアス州都ゴイアニア市に同名人物がいた。電話をしてみると本人は旅行中で、家政婦が出て「サンナンはドナ・テレザと別れて、12年ぐらい前に日本に帰った。3カ月前に心筋梗塞で死んだと連絡があった」と教えてくれた。
 後日再び電話すると、本人はリオに行ったと今度は料理人女性が教えてくれた。どうやら裕福な家のようだ。その料理人は「だいぶ前にサンナンとは分かれたようだが、はっきりは知らない。でも一昨年のクリスマスに日本に住むサンナンは、やっぱり日本にいる息子ケンジと一緒に帰ってきて何日かここで過ごした。私が料理をしたから間違いない」という。
 調べるとインターネット上の讃南の勤務先は群馬県になっていた。その料理人も「でもサンナンは去年10月に日本で心筋梗塞で死んだって聞いた。サンナンの母と妹は日本で生きていて、まだ連絡がある」とも。
  ☆   ☆
 Sannan名でネット検索するとフェイスブックに登録があり、その友人にはなんと「アイン・ヤマザキ」がいた。しかもサンナンとの関係は「父」だ。彼女はリオ州に住んでおり、11年にフルミネンセ連邦大学を卒業し、ニテロイ軍警病院に勤務していた。おそらく20代半ば。写真を見るとアインを彷彿とさせる愛嬌のある、ふくよかな美人だ。
 この孫アインにフェイスブックを通してポ語で質問を送ると、しばらくしてから返答が来た。
 「ケンジ・ヤマザキとアインは間違いなく私の祖父母で、私はサンナンの娘です」といい、まだ24歳だ。やはり讃南は「昨年10月に心筋梗塞で亡くなった」とし、「00年から日本に住み、最後の居住地は群馬県草津だった」と正確な情報を教えてくれた。享年65の若さだった。
 さらに「ケンジのことは父があまり教えてくれなかった。彼の生涯をなぞった映画があることは知っているけど観たことはない」という。
 「なぜ讃南は貴方にアインというを付けたか説明したことがあるか」と尋ねると、「祖母は再婚して苗字が変わってしまった。ヤマザキ・アインという名にこだわり、オメナージェンとしてもう一度付けたのではないかと思う」と答えた。
 さらに、「父は家族に関して人生の逆境に直面していたと語っていたわ。そのために別々に生きなければならなくなったと。父はここで生きることを選んだけど、日本の家族との連絡も絶やさなかった」とも書いた。
 ゴイアス州の家族との関係を尋ねると「実はよく知らないの。父を介して義理の家族だけど…、あまり付き合いがない」と言葉少なげに答えた。「ミチコ・フジワラの名は」と訊くと「知らない」と答えた。
 編集部内で孫アインの話をしていて「山崎の息子も〃二人妻〃ですか」と指摘され、ハッとした。讃南は一人目の妻との娘には付けず、なぜか2人目の妻と思われる方との子供に母の名をつけた。山崎の〃業〃のようなものが国境を越えても続いているのか。
 もっとも、南欧や当地を含めたラテン文化諸国なら、政治家の二人妻というのは、もともと〃事件〃扱いではなかったに違いない。然るべき国へ山崎は来たのだろう。(つづく、深沢正雪記者、敬称略