ニッケイ新聞 2013年2月23日
「コダマ、ノン・テン・トロッコ(お釣りがないよ)」
「ノン・プレシーザ(必要ない)」辞書を引きながら児玉が答えた。
サンパウロに来てから間もない児玉には物価の感覚がまだわからなかった。パウリスタ新聞から受けとる月給は約四十ドルだった。それでもサンパウロ州法で定められた最低給料の三倍はあった。児玉は自分の月給以上の金をテレーザに渡してしまった。
テレーザは「ムイント・オブリガーダ(本当にありがとう)」と言いながら、児玉にキスをした。部屋を出る時、ドアの前で児玉に言った。
「ベン・オウトラ・ベース(また来てね)」
児玉が頷いた。
その日以来、児玉は東洋人街や進出企業相手のバーに行くことはまったくなく、ミッシェル通いが始まった。テレーザと会うのが目的だったが、同時に会話の勉強には日本から持ってきた会話の本よりも、彼女と実際に話をする方が習得は早かった。テレーザが教師代わりだった。簡単なポルトガル語ならある程度は自由にこなせるようになった。言葉がわかるに連れて二人の仲は以前にも増して親密になった。
日本から持っていた所持金は毎晩の飲み代とテレーザの懐に消えていった。月給暮らしをするようになると、ホテル代の支払いも次第に苦しくなり経済事情をいち早く察したのか、テレーザは児玉を自分のアパートに誘った。
ミッシェルからタクシーで十分ほどのところにあるコンソラソン地区の閑静な二LDKのアパートで、エンプレガーダ(お手伝いさん)用の寝室もあった。応接室の壁にはキリスト像が掛けられ、聾唖の画家ガレイラが描いた田舎の古びた家の絵が飾ってあった。
日曜日になるとレププリカ公園ではヒッピー市が開かれる。ガレイラの絵画もこのヒッピー市で売られている。
テレーザが雇っている住み込みのお手伝いは五十代のヴェラという女性で、ブラジル北部のバイア州からやってきた黒人だった。初めて彼女のアパートを訪ねた夜、テレーザは臆することもなく、児玉を「ナモラード(恋人)」と紹介し、コーヒーを用意するように命じた。住み込みでも三食付きならば最低給料の三分の一程度で雇うことができるのだ。
「コダマ、そこに座って」
テレーザが言うままに黒の総皮革張りのソファに腰を下ろした。間もなく熱いコーヒーをヴェラが運んで来て、テーブルの上に置いた。テーブルはジャカランダと呼ばれるアマゾンで伐採された重厚な木材でできていた。ジャカランダそのものが少なくなってきているせいか、ジャカランダ製品は高く、特にコロニア風の重厚な彫刻を施したベッドは手にいれることさえ困難になっていた。
子供用の寝室には五歳くらいの子供がベッドで静かな寝息を立てていた。
「トニーニョっていうの」
トニーニョはアントニオの愛称だ。トニーニョの寝室には、一歳の頃の写真や洗礼を受けた時の写真が大きく引き伸ばされて掛けてあった。無邪気に笑っている誕生日のパーティー写真も飾ってあったが、どの写真にも父親らしき姿はなかった。
彼女の寝室はその隣にあった。彼女の部屋には専用のバスルームがあり、いわゆるスィートルームになっていた。彼女の趣味なのか、ベッドも化粧台もジャカランダ材を使ったもので、ベッドには彫刻が施されていた。ベッドにはブルーのカバーが掛けられ、カーテンにも同じブルー系統の生地と純白のレースが使われている。
ミッシェルでサンバを踊り、客を引いている彼女からはおよそ想像がつかない部屋のインテリアだった。
「泊まってもいいのか」
「いいよ。だから連れて来たのに」
「だってトニーニョが起きたらどうすればいいんだ」
「恋人だって紹介するつもり。いいでしょう……」
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