ホーム | 連載 | 2014年 | 島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一 | 島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一=(8)=6号室が反乱の檄飛ばす=看守棍棒で手当たり次第殴る

島流し物語=監獄島アンシェッタ抑留記=特別寄稿=日高徳一=(8)=6号室が反乱の檄飛ばす=看守棍棒で手当たり次第殴る

 6号室の室長、大美頼夫氏とは余り面識はなかったが大言壮語する人で、彼等の云うままになる事はないと所の方で大目に見てくれていた。それを良い事にして、彼は規則に反する事をしていて、事務所に勤めて居られた日本人の方を困らせて居たそうである。
 問題を起こしたマンジョッカ組は十名程で4号室と6号室の人達であった。1アルケールにも満たない畠に、真面目な三人程が時間通り働き、残りの連中は、漂着したドラム缶を利用して風呂を沸かし、時間中に入浴、そして昼寝…。所が寛大である事を良い事にして、勝手な事をしていた。その行為に皆は案じていたのである。それが現実として起こった。
 出聖中の所長が帰って来て2、3日してからの事である。その前日から故意か偶然か、監督であるアステリヨが姿を見せず、日本人だけで働きに出て、監督が居ろうが居るまいが連中頓着なし。木陰で呑気に過ごし昼食に帰って来ると、門から広場に入ったとたん、そのまま違反したものが入れられる闇牢に素裸にされ入れられたのである。気の毒だったのは、三人の方も一緒に罰をうける羽目になったのである。
 眼に余る事が重なった故、罰を受ける事になった。人間は勝手なものである。地方の警察で反対側の日本人からそそのかされた下級官憲からひどい目に遭った経験から、「所長も出聖中に彼等から鼻薬をかがされて我々を圧迫する様になった」と考えたようだ。「このままでは済まされぬ」と十名の釈放を要求、それが受けられるまで断食と、6号室長が各室に檄を飛ばしたのである。
 闇牢に入れられた者の釈放するまで絶食する事と仕事に出られぬと云う事であった。
 各室では相談した。その理由によっては共に行動するのが本当であるが、非はマンジョッカ組にある事は皆の知っている事であり、反対意見が出て、食事をするのも忘れて議論が終わらず、その時看守が室の鍵をかけて廻った。
 全員罰だと思っていると、突然十数名の看守達が事務所に一番近い二号室に来て扉をあけ、広場に出る様命じるので、入り口にいた者は命ずるがまま広場に出た。
 働きに出る事もできず食事もないので大半が横になっていたが、すると看守達は七、八十センチの棍棒で手当たり次第撲り、「外に出ろ」と怒鳴りだした。その時誰であったか、何人だか「この野郎」と看守を投げ飛ばした様であった。
 余りにも突然の事で呆然としている者が多かったが、それは相撲の指導をして居られたバストスの川端嘉エ門さんだった事が後日判った。川端さん曰く、「人が良い気持ちで昼寝しているのに叩くので看守二人を投げ飛ばした」と語って居られた。北村運平さんは棍棒を取り上げ、馬乗りになり首をおさえて居られたので、他の者が北村さんを取り押さえ大事に到らなかった。
 乱闘は僅かな時間であった。看守達は暴力では益々烈しくなると思ったのか、看守長が「手荒な事はせんから、兎に角広場に出る様に」と云ったので、全員外に出て点呼の時の様列を作って居た。
 すると二人の看守が誰かと勘違いしたのか、「これだ」と云って後ろから室長の谷田さんと自分をあの棍棒で殴りつけたのである。谷田さんは頭にまともにうけ8針程縫う傷を負われたが、自分は「これだ」と云う聲がしたのでふりかえった。頭に直撃は受けなかったが、右側の首の付け根を殴られ倒れかけたが誰かが支えてくれ、倒れずに済んだのである。6号室の心ない人の為、2号室がとんだ災難にあったのだ。
 看守達の報復は看守長の命でおさまったが、その日から今まで働かずに済んだ体調の勝れない年長の人も、一時働きに出される事になったのである。その様な事になり、重要な仕事は殆ど止まった様になってしまい、役所の方でも困ったのであろう、心ない僅かな者達の行いであったので短時日で元通りになったのである。(つづく)