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San Paolo / Sao Paulo- (2)=ブラースの夜と昼

グルメクラブ

10月8日(金)

     夜

 「ナポリを見て死ね」なんていわれても、実際にこの眼で、警句の真偽を確認しなければ素直にはうなずけない。そう思い立って、かの地を目指したのは、もう十年も前のことになる。
 ベスビオス火山をのぞむナポリ湾に続く路地裏をさまよった。かねてから味わいたいと熱望していた、トマト風味のライスコロッケを屋台で食べ感激した。見上げれば窓際に「名物」洗濯物がはためいている。
 まっ、絵葉書通りともいえる、南国風の陽気な市街風景であったが……。多くの若い男性がウインクしてくるのは一体何のサインか。ところどころ劣悪な生活環境が目に付き、沈鬱な表情を浮かべているのも気になった。いわく、悪徳の香水がふりまかれているような感じもする。湿った石畳を早足に歩きながら心中穏やかでなくなってきた。
 あと数十メートルで港。薄暗がりの向こうに光明が見え出したそのとき、足元に植木鉢が落ちてきた。落書きの目立つアパートの高階で子供たちがケタケタ嘲笑している。しばらく呆然としていると、今度は、ブーンと若い男女が二人乗ったスクーターが背後から突進してきたのだ。ナポリを見て「死にかけた」。
 そのヒヤリとする光景が、先週末の夜、雨のブラス区で久しぶりにひらめきよみがえってきた。南イタリアにあったような建築スタイルの、クーポラ付教会。ひとけのない街路を照らす安ホテルの赤いネオン。沈んだ夜のとばりの匂い。そういったものがつきまぜあって、そこが十年前に刻まれたナポリの印象と重なったせいだ、きっと。事実ブラース区には、ナポリ出身者が集まって住んでいたとはサンパウロ市の公式サイト「ミル・ポヴォス」を通してアトで知った。
 この夜、くだんの教会裏にある「カステロンエス」でピッツアを食べた。ここでもナポリのそれがしみじみと思い返され胸に迫ってきた。記憶の引出しを開けたのは、ピッツア表面を液体のごとく揺れていたモツァレラチーズと、分厚い「額縁」のふっくら食感。
 トマトソースと一体となり、こうして絶妙にとろけたモッツアレラチーズは、なかなかお目にかかれない。十年ぶりにうならされたとろけ具合だった。ピッツアの周囲「額縁」は、本場ではデコボコし程よく焦げているのを特徴とする。やはりこれも、かなり忠実に再現されており、その仕上がりに懐かしいやらうれしいやらで満足した。
 生地の風味が詰まったモチモチしたその部分こそ、本来はピッツアの影の主役であろう。創業一九二四年、今年で八十年の伝統を誇る「カステロンエス」ならではの熟練の技が光る「額縁」。正直をいうと、家を出る前に、カレーライス+コロッケを胃袋に収めていたのだが、それでもペロリと残さずたいらげた、とも付け加えておきたい。
 のんきで陽気なイタリア映画に出てきそうな店内の空気は、ブンブン個性全開。色あせた水色の壁を埋めるサッカーのフラッグ、ウイスキーやワインのアンティーク瓶、そしてリングイッサ、ネオンサインなどが渾然一体となった内装。わたしはこれを「イタリア移民レストランの美しい頂点」と思っている。周辺街路の退廃ムードが、しとしと降る雨が、さらに店内を輝かせてみせる。「カステロンエス」と、ブラース区の夜。その強烈なコントラスト。それは風光明媚でありながら、悪徳栄えるナポリらしさそのものだ。

     昼

 移民のおじいちゃん、おばあちゃんがかつて恋を語りあった店で、三世の孫らがいま恋を語っている。そんなことのありえる老舗は、サンパウロ市の日本食レストランを探してみてもあまりなさそうだ。日系の場合、どうしてか二代、三代と続かない。でも、イタリア料理屋には、歴史ある店が散見する。先代の「衣鉢」を受け継ぐカンティナなどは枚挙に暇がない。
 移民資料館(元移民収容施設)に行く途中、ヴィスコンデ・デ・パラナイーバ街で最近見つけた「メーロ」は、来年で創始から七十年を迎えるパスタ製造所兼食堂だ。日替わりメニューをそろえ、いずれの値段も七~九レアル、バール感覚で足を運べる。パルメザンチーズがたっぷりすりおろされたポルペトーネ(イタリア風ハンバーグ)でも十レアルだった。
 種類豊富なパスタばかりか、トマトセッコなど惣菜類も自家製。チーズ、カラブレーザなどはその辺にぶら下がっているものを切って提供する。サービスにも造作はない。気が置けない、田舎のイタリア人家庭に招かれた気分がする。
 で、すっかりはまってしまい、なじみの客になろうとこのところ何回か続けて通っている。最寄りの地下鉄の駅はブラース、あるいはドン・ペドロ・プリメイロもそう遠くない。どちらで降りても道中、目にする風景は一緒だ。それはがらんとした倉庫と、工場である。それは工作機器と油まみれで格闘する文字通りブルーカラーの労働者たちの姿である。彼らが住んでいるのだろうか、すすけたヴィラ(集合住宅街)もちらほらみかける。界隈は、戦前もしくは戦後まもない頃をまだ生きているようだ。古くさい工場地帯であり続けている。ハイテク産業なんてどこ吹く風と。
 サンパウロ市の高度経済成長期。働く男たちは昼休みに家に戻る暇を失い、職場近くの食堂で食べるようになった。これをきっかけに、外食産業がさかえ始める。不足する工場労働力を補うため駆り出されたのは主にイタリア系だったので、ブラース区にはあまたのイタリア食堂が存在していた。家庭に代わってママの味を世話し、疲れきった労働者を慰めていた。だが、時は巡り、そんな店はひっそりと退場。奇跡的に残った例外の一つが、「メーロ」なのかもしれない。
 きれいなだけの、たいした内容もないレストランがあふれる昨今。でもね、と私は思う。シンプルというより時代遅れなこの食堂が放つ、包容力のある存在感。やっぱり、かっこわるいことは、かっこいいのだ。それはブラース区のブルーカラーたちにもあてはまる。機械油まみれになって働いたあとの、手作りマカロナーダはさぞうまいんだろうなぁ。パソコン事務職には決して味わえないグルメの極北だ。
 
 PIZZARIA Casteloes
Rua Jairo Gois, 126 Bras – Centro – 229-0542

 PASTIFICIO MERO
Rua Visconde de Parnaiba, 651 Bras 279-0744

 

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