グルメクラブ
11月5日(金)
カシャッサ・サプカイアの生産が始まった一九三三年は、社会学者ジルベルト・フレイレの「大邸宅と奴隷小屋」が出版された年でもある。メーカーの名前は、「センザーラ(奴隷小屋)」という。もし狙っているならその洒落たネーミングセンスに素直に感心する。この酒、派手さはないが、仕上がりは芳醇。堂々たる風格は、古き良きカシャッサの王道をいく。大邸宅と奴隷小屋。プランテーション時代、見渡す限りの広大なサトウキビ畑を眺めつつ、一杯ひっかけていた農園主気分を疑似体験できる。
数カ月前、サンパウロ市であったカシャッサの見本市で初めて飲んだ。鮮烈な出会いだった。あの夜、サッカーのブラジル代表チームが、どこかの強豪国と大一番の勝負。同社の出展ブースには小型テレビが置いてあり、社員は商売忘れて熱烈応援していた。固唾を飲んで画面を見守る男の表情には、「仕事なぞより、わが心のブラジル」と書いてあった。ブラジル代表は本当に幸せもんだ。
そんな国民の大声援を受けたチームは見事勝利する。その瞬間だった、社員は「さぁチャンピオン盛りだ」と叫び、周囲の客を捕まえては大判振る舞い。またも、商売度外視の行動に走り出した。浮かれ騒ぐ社員の強引な勧誘を断れず、杯をつかまされた客の一人が、このわたしだ。
正直、無視して逃げたかったのだが、ヘラヘラ愛想笑いを浮かべて、しっかり杯を受け取っていた。日本人のいけないところである。ローズラベルの瓶から注がれたそれは、熟成一年物の量産品だったと記憶する。当然、物足りなさが否めない。だが、ここでも日本人の悪い癖が顔を出す。意志とは別に口が自然に、「おいしいですね」とお世辞。これに気を良くしたガッツな社員が勢いづく、わたしを集中攻撃だ。
五年物(グリーンラベル)、十年物(ブルーラベル)と連続ジャブは序の口。最後には伝家の宝刀、樽出しの極上品まで繰り出し、一気にノックダウンを狙っているのが分かった。「うまい、いいね、最高だ」と、防戦一方ながら頑張ってみたが、それも五杯目あたりで限界。ブラジルのへビー級酒にやられこのままリングに沈むか、と覚悟したところ、タオルが投げ入れられた。
白髪上司の登場だ。「日本の方ですか。わが社はドイツやポルトガル、アメリカ、そして日本とも取引がある。新聞社にお勤めで? ならうちの農場に来ていただきたい」。続けて、商品を説明してくれた。
生産拠点はサンパウロ州ヴァーレ・ド・パライーバ地方ピンダモンニャガバ。土臭いといって悪ければ、上品とは無縁な、田舎の風味が詰まった酒だ。現代技術とか、狡猾なマーケティングでは作り出せないな、とも思う。心と体にずしーんときて、かつふっくら優しい。今様に軽佻浮薄ではない。農場内ではこのご時世も、牛がサトウキビを運んでいると知って納得した。
同地方で思い出すのは、カフェー時代。数々の貴族伯爵が大農園を所有し、栄華を誇った歴史だ。ただ、いまは没落荒廃している農場も多い。ドキュメントタリー「セイス・ヒストリアス・ブラジレイラス」(2000、ジョアン・モレイラ・サレス監督)の一部「オ・ヴァーレ」はそうした現状を描いて必見だ。個人的には、そのさびれた映像が脳裏に焼き付いていた分、このカシャッサの底光りに面食らった。
直線と幾何学模様を生かしたアール・デコ様式のボトルがユニークだ。デザイナーはアメリカ人だったという。一九二〇~三〇年代に流行したスタイルだが、今にそのまま引き継がれ、七十年経ったいまなお新鮮だ。変わらないことの新しさ。モデルチェンジの激しい波にさらされる現代、そんな真実に気付かせてくれるのが、なによりうれしい。