ホーム | アーカイブ | エンパーダをスプーンで

エンパーダをスプーンで

グルメクラブ

11月19日(金)

 サンパウロ市から北西約六百キロ、ミランドーポリス市にある弓場農場を訪ねた。その夜、有名なユバ・バレエを久しぶりに鑑賞。お年寄りから赤ん坊まで、農場に暮らす全員で演じられる「喜びの歌」に感激した。♪太陽が熱いから、帽子をかぶらず歩いた~。と彼らは繰り返し歌う。あふれる詩情の裏側に秘められた禁欲的態度。軟弱な私はその美学にしびれた。
 弓場農場は料理も絶品だ。♪ユバの料理はうまいから、お箸を取らず眺めた~。とはいかない。人格の九五%がいやしさで出来ているので、つい食べ過ぎてしまう。朝、おにぎりと一緒に出てきた三角形のエスフィーハがおいしかった。ひき肉と玉ねぎをいため、パン生地に包んで焼いたアラブ料理だ。近くの、第一アリアンサ移住地でもなぜか、同じエスフィーハが、肉の串焼き、煮しめなどと共に食卓の主役だった。ブラジルでは日系人の代名詞パステルなら分かる。でも、ミランドーポリス市の日系人はエスフィーハを得意とするようだ。
 どうして、ここに、この料理が普及しているのか。食の伝達ルートは興味深い。個人的に思い出すのは、ゴイアス州の旧都ゴイアス・ヴェリョのエンパナーダ。あんなに日常的にそれを食べまくるブラジルの土地を知らない。エンパナーダ自治共和国か、あそこは。エンパナーダが国民的スナックとして定着しているアルゼンチン、チリ、ボリヴィアなどの事情にむしろ近いのかもしれない。サイズは多彩、味の方も私見でいえば、国内随一だろう。
 エンパナーダこそ、ゴイアスに譲るとして最近、サンパウロでは目を見張るようなエンパーダが気軽に食べられるようになった。リオ州ペトローポリスが本店の「エンパーダ・ブラジル」のおかげである。市内各所に支店網を拡張している最中で、リベルダーデ区ヴェルゲイロ街58にもオープンしたばかり。「カルネ・セッカとカツピリチーズ」「ゴイアバとチーズ」「タラ」「エビ」……など、どれもアカ抜けた二十一種の味をそろえ、値段が一・九〇レアル均一と手ごろなのもいい。軽い食感の生地が何より特筆に価する。旧市街「エンパダリア・ダ・ヴォヴォー」(11・3337・1938)、ヴィラ・マリアーナ区「ランチョ・ダ・エンパーダ」(11・5579・5330)の両名店にも勝るとも劣らない、出色の味だ。
 私は、ピッツアでもエスフィーハでも、具だけを食べたい。そういうとまずたいていの人が驚き、贅沢だという。だが、この店がそんなワガママな願望を叶えてくれた。肝心の具がパン生地で閉じられていない、中身がこんもり外に盛り上がっている画期的な商品を売り出している。「サケとルッコラ」「カニとアーリョ・ポロ」「トマト・セッコ」「ベリンジェイラ・セッコ」…。同店のエンパーダはどれも木製の器に乗ってきて、小さなスプーンですくって食べる。そんな一歩踏み込んだ独創性もイケている。スプーンでエンパーダとは、ナイフとフォークで食べる握り寿司くらい斬新。さすが皇族ゆかりのペトローポリス。エレガントな趣味だ。
 書き忘れていたことが一つある。文句のないエンパナーダを喰わせる店がサンパウロにもあった。ヴィラ・マダレーナ区で最もにぎわう店の一つ、「バール・ダス・エンパナーダス」。エンパナーダの本場アルゼンチンとチリからの移住者が一九八〇年に創業して以来、熱い支持を得ている。ジューシーな肉が詰まったそれが最高だ。クミンが効いている。映画関係者が集うことで知られ、国産映画のポスターや、店を訪れた俳優、監督の生写真を拝める。八〇年代から今日まで、それぞれの時代を風靡した映画や俳優の変遷を、ある日見たとき、しみじみした。このところ、犯罪、暴力をテーマにした作品が増えた。二十年前は歴史物や、恋愛話が優勢だった。エンパーダもスプーンで食べる時代を迎えた。変わらないのはエンパナーダだけか、とかぶりついた。

 Empada Brasil 
 Rua Mourato Coelho,379,Pinheiros 11-3082-1801

 Bar das Empanadas
 Rua Wisard,489,11-3032-2116

Leave a Reply