ホーム | アーカイブ | 話題 ギブ・ミー・プレット

話題 ギブ・ミー・プレット

グルメクラブ

1月21日(金)

 十五歳のビールは夜、日本一長いS川の堤でワルな先輩と飲んだ。サントリーとキリンとアサヒ。自販機の前で、オマエはどれが好きかと訊かれた。サッポロのボタンを押した。先輩の眼は笑っていなかった。
 サッポロのハーフ・アンド・ハーフ。はっきり覚えている。黒ビールが混合された、当時としては画期的な商品だった。おとなぶりたいだけの十五歳が飲むビールとしては生意気である。だが、わたしは思っていた。松田聖子の歌をTVコマーシャルに起用しているようなナンパなビールを選んだ先輩ははっきりいって、ダサい。男の嗜好品はブラックでなければ。わたしは内心そう力んだ。
 田舎青年の背伸びは続いた。仲間と飲むたびに、オレは黒ビールを好むんだゼ、とちょっと得意気にいい、酒の通を演じてみせたりした。こうして初めは思春期の気まぐれに過ぎなかったのだが、親しむうちいつしか懇意になった。ほどなくブラジル行きが決まり、サッカーのペレ、褐色の国民、特産はコーヒーとくれば、うまいビールも黒だろうと決めつけ、渡航前の気分は盛り上がった。
 ビール評論の世界的権威、英国人マイケル・ジャクソン氏がかつてブラジルビール事情を取材している。記事の題が「サーチング・フォー・ザ・ハイト・オブ・ブラックネス」(1999年、『オール・アバウト・ビアー』収録)と知ったのは最近だ。ブラジルビールの白眉は黒(ブラックネス)。この予感はひとりわたしの専売特許ではなかったらしい。
 冒頭、リオデジャネイロで高発酵黒ビール『ブラック・プリンセス』を発見した氏は興奮している。
 「わたしは試飲するため急いでホテルに戻った。バスルームでオープンしろとのご宣託を聞いた。なるほど栓を放つと急激に気が抜け、短音階の爆発音が響いた。黒いビールが油田を掘り当てたように噴出した。勢いは天井まで届いて、タールを塗装した様相。バスルームは、まるで熱帯雨林の中のようだった」
 何かの菌に感染している可能性がある。なめてみれば異常な酸味。翌日、醸造元のプリンセーザ社に苦情電話するが、倒産したらしい。そこで、精力絶倫牛マークの黒ビール『カラク』を飲んでみる。これが尋常でなく甘い。「ブラジルのトラック運転手は泡立てた卵を二個入れるそうだ。それが朝食なんだゼ」。もう、やけくそだ。
 氏が機嫌を取り戻すのは、「最高のビールがリベイロン・プレットで飲める」と聞いてからのことだ。英語でプレットはブラック。約束の地に違いない。リベイロンに遠征したビールハンター(と称されることも多い)は、『ブラマ』に注目し、「どうして東洋的な響きがあるのだろう」と自問する。ヒンズー教徒はインド・ブラマプトラ河で沐浴すれば、罪を洗い流せると信じているが、「同じ天恵があるといいたいのか」
 十一月十五日広場、アンタルチカ社のビールを出す名物バー「ペンギン」のチェックも怠りない。「指幅四つ分の泡が注がれた」生ビールに驚き、黒ビール『ニジェル』については、「やわらかく甘い風味、口中に含むと存在感が際立つ」(然り。『ニジェル』は四、五年前までサンパウロ市の無名バールにも置いてあったが、突然、サヨナラもいわず姿を消した。残念だ)。
 だがビールジャーナリズム界の親分、「わたしは黒への乾き(サースト・フォー・ブラックネス)がいまだ癒せないでいた」と独語し、取材のラストで、黒ビール『シングー』にたどり着く。
 シングーとは、アマゾンのインディオ部族の名称だ。原住民は昔から密林の奥で黒ビールを作っていた。トウモロコシやキャッサバを焦がし、口に含んで〃唾液〃を加え、デンプンを糖分に変えた。そのうえ香草を入れ煮立て発酵させた。ヨーロッパからやってきた侵略者たちはこれに剥目し、自分たちの醸造技術を生かして、より洗練された黒ビールを生み出した。
 「二十世紀には黒ビールの醸造所がブラジル各地にでき、リオデジャネイロだけでも五十種以上の銘柄があった」(アサヒビールのホームページ『アマゾン伝統の黒ビール』参照)
 こうしてインディオのノウハウを取り入れた会社のひとつが、サンタカタリーナ州のカスカドール社であり、そこで『シングー』は産声を上げるが、五年前カイゼル社が傘下に収めた。アメリカの高名な機関が〃世界最高の黒ビール〃に選んだことがあるなど北米市場でもその人気は高い。
 御大は、「泡はゼラチンのよう、黒檀色、リッチな印象、甘草のフレーバーも。おいしかった……爆発しなかったしね」と評価し記事を締めくくっている。
 『ブラック・プリンセス』の一件を踏まえての、やくたいもない末尾が、「権威」をおとしめている気がするのは惜しい。親分(ボス)、不良品の爆発ぐらいでキモを冷やしていたら、ブラジルでビールハンターは務まりませんゼ。

Leave a Reply