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サンパウロ市韓流-3-雨の日はマッコリ

グルメクラブ

2月4日(金)

 チャンオッキョンさんのほっぺたが紅潮した。
 「トシですか? 本当のことはいえませんヨー。結婚もまだですし。卸し先のひとにバレたら恥ずかしいわァ」
 実年齢ではくてもいいですよ、この際。
 「ハァー、二十八にしてもらってもいいですか」
 むかし中学校の卓球部にいたよなァ。ヨネちゃんとかいうんだ。そんな子が齢を閲した印象だ。
 老いた両親を手伝い、キムチや辛し味噌、濁り酒マッコリなどを自宅でつくっている。わけても、マッコリが自慢の品だ。サンパウロに韓国系は五万を数えるが、「造り酒屋はウチだけです」
 韓国食材店で一家の存在を知った。わたしはハングルが達者な知人を介し、新聞取材に応じていただきたいと伝えてあった。チャンさんは当日、わたしたちを出迎えるなり、「テレビに映るなんて信じられないよォ」と目色を輝かせた。
 用意してきた道具はペンとノート、中古の写真機だけだ。残念ながらその期待には応えられない。でもいいこともある。読者は日系人だ。サバを読んでも韓国人社会にバレたりしないでしょう。チャンさんはその丸い童顔にえくぼをみせた。
 休日のボン・レチーロ区は閑散としていた。中心から外れるにつれ、往来するひとも車も減った。早足で十五分ばかり歩いたか。風が出てきた。街路樹の葉ずれの音を聞いた。路上のほこりが渦を巻くのをみた。どうやらここだね。緑色のペンキで塗られた木板の扉の前に立ち、知人がハングルでなにやら叫んだ。チャンさんが緊張と興奮の面持ちで出てきた。家の敷地は奥行きがあり、光が乏しい細露地が目に入った。母親のソチョンミンさん(69)が胸の開いた袖なしシャツ姿で現われた。たらちね、という枕詞が頭に浮かんだ。ずいぶん遠くまできたものだ。ここは片田舎の農村、ときは日本の昭和三〇年代である気がした。
 倉庫風の空間が作業場だった。年季に入った鍋や褪色したバケツなどが積み上げられていた。冷蔵庫やコンロもある。古希を迎えた家長のスクソンさんが不安げに尋ねてきた。「お金をお支払いしなければならないのでしょうかねェ……」。居合わせた家族の表情はやや曇った。固唾を呑んで、わたしの顔を見詰めている。いえ、そんなことはけっして――。安堵の空気が広がった。小林多喜二の小説か、イタリアのリアリズム映画で描かれるような一家とその場の情緒に、感傷的な気分に襲われた
 一九八二年、ブラジルにやってきたスクソンさんたちがマッコリをつくり始めたのは、「七年目のこと。最初は自分たちだけで飲んでいたのだけれど評判になって」。それまでブラジルにあったマッコリの大半が韓国からの輸入品で、容器は紙パック、かなりの防腐剤が混入されていた。
 「ウチのはラベルに《純》と記しているように、余計なものは一切つかっていない。焼酎や砂糖、大量のイースト菌を加えてつくれば作業はラクだけど。そういうのは飲むと頭が痛むし、味も悪い」
 手間隙かけて仕込んだ「純生のぜいたく品」。スクソンさんは誇るが、週に平均三十リットルつくり、リットルあたり四レアルで韓国食材店に売っている程度の生産でしかない。注文はとんと増えない。どうしてか。時代が変わったのだ。マッコリは米を食べる必要がないほどの満腹感がある。だから、かつて農民は仕事の合間にこれを飲みエネルギーを蓄えた。日常の飯に不自由するひとが減り、マッコリ離れは進んだ。韓国人街ボン・レチーロ区のレストランでも、「置いてあっても一、二軒かしら。人気ないそうです」とチャンさんはぽつりといった。
 需要は限られている。一家は商店や顧客から電話をもらって初めて醸造に取り掛かる。もうけは一リットル売って一レアルとわずかだ。スクソンさんは「もう出ないからと、何度も止めようと思った。でも思ったところに店から注文が来るから断れない。その繰り返し」と語るが、手は抜かない。特に発酵には気を配り、「韓国産の上級なもち米でつくった酒になるよう」心を砕いている。
 チャンさんと弟のヨンテさん(26)が気を使って、砂糖抜きのカフェ・コン・レイテをいれてくれた。招かれた台所で飲んだ。その味にもしょぱい感傷があった。雨の前兆の匂いをかいだ。取材を終え、作業場で皆さんの写真を撮らせて欲しい。頭を下げると、ひとりふたりと家の中に消え、服を着替えて戻ってきた。わたしと知人はキムチとマッコリを買った。同じ区にある知人宅に持ち帰った。マッコリを開けると、にわかに夕立が降り出した。

朝目覚めるとしとしと小雨が降っていた
よめの財布をさがし
150ウォンぬきとり朝食に出かける
マッコリ一杯 のどもと過ぎればどうしてこんなに気分がいいんだろう

 一九三〇年日本生まれ、一九九三年不帰の人となったチョンサンビョンは生前「マッコリ詩人」と称された。中国の李白みたいなものよね、と知人はいった。「韓のくに」では雨に日にはマッコリを飲み、ジョンと呼ばれる日本のお好み焼きのような品を食べるそうだ。パジョンといえばネギ入り、またエビやカキが具のジョンもある。生地が緑豆でできているピンデットもこの類いになる。知人宅ではパジョンを焼いてキムチと共に肴とした。
 チャンさん一家のマッコリは、「どうしてこんなに気分がいいんだろう」。詩人の言葉に尽きた。アルコール度数は六~八と日本酒の半分ほどである。知人は「雲の上を漂っている感じの酔いでしョ」。キムチの方も、巷にあふれている化学調味料たっぷりのキムチとは明らかに一線を画していた。
 キムチやマッコリの配達を願えば、チャンさんが歩いて届けてくれる。後日知人が電話したら、まもなく破顔一笑、やってきた。「きょうはほかの注文もあって。もう足がパンパンです。さァー、わたし、早く結婚しなきャ」と朗らかな声でいい、額の汗を拭ぬぐった。その話を聞いたわたしはつぶやいた。
 「大丈夫きっと幸せになれるよ」
 日頃は物事に酷薄なくせに、柄にもないことを口にしてェー。つぶやきのあわい抒情は知人の乾いた笑い声にかきけされた。
  
                           ――――――   
 チャンさんのマッコリはボン・レチーロ区トレス・リオス街の韓国食材店で入手可能。肝臓の負担が少なく、疲労物資を除き食欲を増進させるビタミンBに富むマッコリにあわせるジャンなど伝統料理なら、アクリマソン区の「朝鮮屋」へ。エイの蒸し煮、豚肉とキムチと豆腐を青菜に包んで食べるトウフ・ポッサム、網焼きで出てくる肉料理ウンニャン・プルコギが店主のお薦め。マッコリは常時置いてあるわけでないため、要確認。電話11・3271・9621。

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