グルメクラブ
2月4日(金)
- 一月十七日付フォーリャ紙は、リオでウイスキーバーが斜陽であると伝えていた。記事は、「先週の日曜日、(レブロン区のバー)フロレンチーノが営業を止めた。リオの夜が再び、〃瓶詰めの犬〃を蹴飛ばした」と始まる。
瓶詰めの犬。ヴィニシウス・デ・モラエスはかつてウイスキーを賛美しこう呼んだ。おそらく男の良き相棒という意味で。そのヴィニシウスやトム・ジョビン、シッコ・ブアルケ、ルーベン・ブラガら文化人が通った伝説のバー、アントニオスが扉を閉じたのが九〇年代。そしてフロレンチーノも姿を消した。
なぜウイスキーバーが淘汰されているのか。生ビールなら一杯二~三レアル。ウイスキーが仮に十レアルとすれば、五杯飲んだら五十レアル。つまり高い。スーパーで六十レアルのボトルを買って家で飲んだ方が得、とも書いてあった。そりゃ、そうだが。
作家のアントニオ・トーレスの意見が目に入った。
「ウイスキーはフランク・シナトラであり、ハンフリー・ボガートであり、ボサノヴァなんだよね……ひとつの過ぎ去ったエポカであり、エスチーロだ」
「いまの若い連中はひとむかし前の古臭いフロレンチーノなんかより、新しいバーにいたいわけだ。結局会話を楽しむよりもはしゃいで騒ぐのを好むのさ」
酒は世に連れ、世は酒に連れ――。
ボサノヴァ隆盛の六〇年代前半。リオでは「インテリは海には行かない。インテリは飲む、ひたすら飲むのだ」といわれたものだ。「全世界は酒三杯分遅れている」といったボギーこそは、男の見本だった。いま、この種の美学を身上とする人種はほぼ絶えた。
例外はリオのベテラン映画監督ドミンゴス・オリヴェイラぐらいだろう。彼は家も車も所有しない。稼いだ金は次の作品につぎ込み、本屋CDを購入し、友人とウイスキーを飲みながら話すのが娯楽だと四、五年前の雑誌で答えていた。
監督・主演した近作『セパラソンエス』(2002)でも彼は多くの場面で飲んでいる。そのウイスキーの銘柄が印象深い。黒いスコティッシュ・テリアと白いウェスト・ハイランド・ホワイト・テリアがラベルに描かれたブラック・アンド・ホワイトだった。「犬」ラベルのスコッチ。あれはきっとボサノヴァ世代の男の自己主張だ。
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- サンパウロでは一九五二年創業のヨーロピアンバー「ポンドゥーロ」=写真=にボギー在りし日の名残が残る。カツサンドや、カジュとウオッカのカクテルが名物で、往時には百十種もの舶来ウイスキーをそろえていたという、ウイスキーバーの走りだ。ガラスを多用したインテリア、ステンレス製のつややかなバーカウンター。ボサノヴァ世代なら記憶の痕跡がうずく。アズ・タイム・ゴーズ・バイ。時が過ぎても。変わらない魅力がある。
シダーデ・ジャルジン通り60。電話11・3083・0399。 - ――――――