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サンパウロ市韓流(4)=屋台日記

グルメクラブ

2月18日(金)

 二月Ⅹ日
 シュラスコ屋台の煙と匂いは都会の通俗の花だなと思う。最近はリオ・ブランコ通りそば、グァイアナゼス街の屋台に通っている。ナイジェリア系とみられるアフリカ人男性の溜まり場で、常連客にはペルー人やボリヴィア人も混じり、「異国情緒」がモクモク漂う。屋台で飲食する場合、ちょっとした非日常的気分は、欠かせない調味料だ。
 屋台前のビル二、三階はナイジェリア人クラブになっていて、一度入ったことがある。ビリヤードに興じる人、歌っている人、鼻毛を抜いている人、その他いろいろいた。壁の黒板には、「スパイシー・シチュー・ウイズ・ライス」とあった。虚勢を張ってバーカウンターにひじをつき、それをプリーズと注文してみた。果たして黒人男性に無視された。ああ、ここは「外国」なんだなァ。背中を丸め階段を降りた。ほっとして、屋台で食べた手羽先のうまかったこと。
 北東伯出身者の集うバールに通っていた時期もあった。ブレーガと蔑視される音楽が大音量で流れる場所を好んだ。シュラスコに飛び切り辛いピメンタをふりかけ、胃液が出るほどせき込むことを一種の通過儀礼のように思っていた。
 当時連休の旅先といえばまずリオだった。土曜日の夜、サンクリストヴォンで開かれる野外市場をその都度訪ねた。北東ブラジル人の屋台が蕪雑に立ち並ぶそこで、裸電球の灯りはフォホーのリズムに揺れていた。幾種もそろっているファリーニャと乾パンの味の違いを判別する彼らの舌を尊敬し、牛の頭や足が闇夜につるされる光景にたじろいだ。巡覧した後は、仮設トイレの臭気を鼻先でかぎながら、一週間前から煮込まれたごとき味の料理を楽しむことも出来た。
 市当局が〃観光地〃として売り出してからはしかし、テーマパーク化が進み、刺激は格段に減った。伴って、映画やドラマの世界でも北東伯の風物文化がもてはやされ、とかくするうちにわたしの北東伯屋台ブームは過ぎた。

二月Ⅹ日

 ボン・レチーロ区を歩いていたときである。ひとときの驟雨が上がり、毛をぬらした子犬がクーンと鳴いた。自転車に乗る練習を繰り返す、韓国人のコドモが必死にペダルをこいでいた。夕日の残照が建物の汚れた壁を照らした。わたしは足を止めた。そこは馬券売り場を兼ねたバールで、母娘が軒先で肉を焼いていた。母はネウザといい、齢十八の娘はアリーネといった。
 親子で働く姿にうたれた。母は墨火に気を配る。その隙に、娘は空いた皿を下げテーブルを拭く。ビールの注文があれば、声をそろえて応じる。たまに、忙しさのあまりいらだって軽い親子ケンカもする。そんなとき、娘はキャンディーをほおばり皿洗いに集中し、母は黙して網の上の肉を裏返している。と眺めつつ一杯やった。
 韓国人街だけあって、客には仕事帰りらしい韓国系男性が多く、夕餉の惣菜を買い求める一世のオバチャンが頻繁にやってきた。自転車のちびっ子はすりむいたひざ小僧をさすりながら、コーラとリングイッサをくれといった。たそがれ、下町の通俗的風情の花が満開に咲いていた。
 同区プラテス街379には、天ぷらや揚げ物(韓国語でティギム)を売る屋台風の店もあった。イカゲソ、カキアゲ、春雨海苔巻き、ギョーザ、アメリカンドッグなどで、ゲソ五つで二レアルと総じて安い。ハングルで書かれた小説を読む、女史風のメガネをかけた妙齢の女性が店をしきっている。オーダーを受けると、誇り高い表情で調理にかかる。仕事振りは水際立っていた。わずかな遅れも迷いもない。労働を終え、席に戻った女史はふたたび本を手に取った。
 豆モヤシやモチの入ったラーメンも品書きにあったが、熱心な読書を中断させてまで頼む勇気をわたしは持たなかった。客との煩瑣なつきあいを避けている節もある。たまさか目が合うと、わたしはゲソをもそもそ噛みながら、精一杯の微笑を投げかけたが、その意思的な眉は微動だにしなかった。いと奥ゆかし。

二月Ⅹ日

 きょうは韓国の旧正月だった。夜、アクリマソン通り764に立つ屋台にモチ料理を食べに行った。細長い円柱形のモチを唐辛子ミソで煮込んだもので、トッポッキという。砂糖の甘みも強いがやはり辛い。しっかりダシを取ってある、結構な味わいのウドンと一緒に頂いた。
 韓国ではウドンに黄色いタクワンがついてくる。この夜、屋台では父、母、息子がタクワンをかじりながら、韓国焼酎ソジュを飲み交わしていた。日本の焼酎が蒸留式であるのに対し、ソジュは高濃度のアルコールを水で薄める希釈式でつくられる。蒸留式は水、ジュースで割って飲んでもおいしいが、希釈式はそうすると本来の風味が損なわれてしまう。だから、必ずストレートで飲む。
 それにしてもよく見つけ
たものだと思う。屋台でひとり働くブラジル人男性の忠実で真摯な勤務態度に感心した。トッポッキの仕込みによどみなく、タクワンには韓国人がそうするようにきちんとお酢を振ってから出してきた。主人の韓国人男性が友人と卓上ゲームに熱中していられるわけだ。このブラジル人を選び雇った時点で、商売の成功の半分は約束された。屋台引っ張って二十六カ国をめぐってきたと主人は胸を張っていた。なるほど使用人の素質を見定める眼力は鋭い。
 飲食店を外国で経営する場合、中国人は屋台でもレストランでも、主人自ら働いているようだが、韓国人は現地人にノウハウを教え込み任せることが多い。日本人はどっちだろう。
 同行の、中年になりかけの独身生活者は語った―。 オレは屋台で夕飯を買うような女が好きだァ。料理が苦手で、屋台で買って帰宅するようなひと。でもさ、こういうのに限って好きな男が熱を出すと、食べたがっているものをかいがいしくつくってあげるもんだろ、な?
 さびしい男の後ろ姿がよく似合う屋台は、しょせん叶わぬ恋愛を情熱的に語る都会の舞台でもある。

 

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