グルメクラブ
3月4日(金)
韓系社会の新聞社の編集長に会ったのは、サッカーの日韓共催W杯のときだから、三年前のことだ。『ブラジル・ニュース』といい、週刊で発行している。競合紙が四つあるといっていた。インタビューの最後、韓系社会の性格・特徴を一語で要約するなら、と聞いてみた。サンパウロ大学経済学部を卒業したという編集長は答えた。「人情あり。かな」。予想外の言葉だった。なかなかいい〃見出し〃だねと思った。
最近、友人三人とボン・レチーロ区コレイオ・デ・メロ街131にある韓国レストラン「石井」で昼食を取った。料理が出てくるまでのひまつぶしに、韓国あるいは韓国人から始まる連想ゲームをやろう。わたしは提案した。
ヤキニク、ニンニク、『釜山港に帰れ』、ロッテ、高麗ニンジン、垢すり、ネェーちゃんが色白できれい……。小学生もかくやと思わせる教養見識のない回答が続いたので、先のの「人情あり」話を紹介した。ステレオタイプのイメージから離れた新しい韓国像を、と呼びかけた。
安重根。とひとりがいった。ダメダメ、歴史的に微妙な事柄はなるべく避けようゼ。わたしは忠告した。じゃ、オマエがまず手本を示せよ。友人らは口をとがらせた。一寸考えて、以前こんな経験があったのだが、と切り出した――。
昨年、来伯した韓国の若手伝統芸能グループと知り合った。近く一緒に食事でも、となった。メンバーは二十代の男女六人ずつ。韓国は儒教社会、年長の兄貴分がおごるのが一般的だと知人から聞いて、歓迎夕食会の発起人のひとりであるわたしは心配した。相手は食べ盛り十二人、支払う側のこちらはその知人とわたしという低級所得者コンビだ。さてどうする。店選びは難航を極めた。
世界中を公演して回ってきたのだから、やはり、母国の味が恋しかろう。シュラスカリアもいいが、韓国料理のレストランだろう。じゃ、ヤキニク(プルコギ)か、ナベ(チゲ)か………。いや、肉食中心の西欧に滞在していたのだから、魚料理が恋しいはずだ。結局ボン・レチーロ区プラテス街553「パダ・フェ・チプ(海魚の刺し身の家)」に決めた。
これが大当りだった。船盛りの刺し身を頼むと、突き出しの、小皿料理が机にドンドン並び始めた。かぶと焼き、魚の鍋(メウンタン)が続いて来た。刺し身に使わない部分を利用して、客にサービスしてくれるんだなあ、と感心した。つつきあって食べた。韓国の刺し身はカレエ、タイ、ヒラメなど白身魚がもっぱらだけれど、満腹感は十分だった。というのはニンニク、トウガラシなどの野菜を一緒にサンチュ(レタス)やゴマの葉に包んで食べるから。ご飯、突き出しもお替り可能だったし。
日本レストランならこうはいかんね。第一、注文は個々人で別々。共有できる料理も少ない。刺し身の船盛りに、鍋やかぶと焼きが付いてきたりはしない。突き出しはだいたい一品のみ、だ。韓国人は鷹揚だよ、その点。日本人と違ってケチくそーない。韓国(人)から思い浮かべるもの、それはケチクソーナイ。いいだろ、どや?
大阪人のひとりが哄笑した。その関西弁、かなりおかしいんとちゃう? 韓国人は気前エエなー、なら分かるけどな。しょせん裏日本生まれや、オマエは。
そうだ。日本海。青海原の向こうに韓国を臨んで育った。海辺にはかの国から流れてきたシャンプー容器が頻繁に打ち寄せられていた。ガキの頃、それを持ち帰り学習机に置いて眺めた――。海水浴の帰りに、髪を洗って砂浜に忘れたんだなぁ、きっと。このシャンプーで髪を洗った少女はどんな娘だろう。多分水着の模様は……などとあらぬ夢想にふけった。
天皇陛下は「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と、ご発言なさったが、わたしも少年時代の体験から、格別の親近感を抱いている。
オレなんか日本で働いていたとき、と大阪人はいった。近くの韓国市場の食堂にアワビ粥なんかを頻繁に食べに行ってたもんネ。あの歯ごたえ、ゴマ油の風味と海の香りが忘れられないなー。アワビ? わたしなんかいとこの結婚式で一度食べたきりだ。しかもお粥の中に入っている、と彼は述べた。想像し難い、その味が。ビールの入ったコップを手にとり、無念さを酒でまぎらした。
こうして連想ゲームは尻すぼみに終わり、料理が到着した。きょうの突き出しはピーナッツとゴボウのキンピラ、砂肝の甘辛煮、せん切りジャガイモのサラダ、キムチとナムル(野菜の和え物)それぞれ二種、豆モヤシのスープ、と他店よりもやや品数少なめの気がした。女性店主が写真映えすると推奨してくれた料理はフェ・ト・パッと、白身魚(ペスカーダ)を一度揚げて甘辛く炒めた品だった。アンモニア臭と、脳天を突く刺激的な味が通好みの名物エイの刺し身もメニューにあったが、夜、マッコリなんかを飲みながら、に向いているそうだ。
フェは刺し身、パッはご飯。ゴマの葉、ニンジン、アルファッセ、キャベツ、白身魚の刺し身が入っている器に、ご飯を入れ、特製の辛しタレを好みでかけ、かき混ぜる。日本の料理に例えれば、海鮮サラダ丼だろうか。東京下町で十八歳まで暮らしたが、愛知県の大学で学んだ年下の友人は「オレは鉄火丼風じゃなきゃ食べねぇ。しょう油とワサビとノリ、ねぇーのか。ミソでもいいだぎゃー。ミソ、赤ミソー」と、不思議な日本語でわめいていた。
メイン料理二品で十分食べ応えがあった。それもお替り自由の、突き出しとご飯のおかげだった。気前エエー韓国レストランに、金欠一同礼。朗らかな午餐会はお開きとなった。今度はエイの刺し身に挑戦しようゼ、なあ。だれからともなくそういい、みんなうなづきあった。約束だ―。堅い握手を交わした男四人の背中はそれぞれの方向に散り別れ、初秋の街の雑踏に消え入った。