健康広場
6月1日(水)
ある保険会社のブラジル現地法人元取締役社長は、笑い飛ばした。「健康保険への参入ですか? 重役間の雑談で、終わってしまいましたネ」。業界の厳しさを熟知しているからこそ、軽く質問をかわしたいといったところだろうか。
一九九〇年代半ば。同社は運送・火災・傷害など五つの保険を扱い、損保で上位に食い込んでいた。日系でも大手。健康保険法が九九年一月に発効する前後、生命保険も始めた。そのおり、非公式に健保参入の話が出た。企業の格を上げたいと考えたからだ。
本社から独立採算式に経営していた同社。結局はリスクが高いとみて、公式の会議に議題が上ることはなかった。「うちでは無理かなと思った。イタウー(Itau)銀行ですら、手こずっていますから……」。
日本の進出企業のうち、健保に足を踏み入れているところはない。おそらく、不採算事業だと承知しているからだろう。
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当たり前の話だが、ごく簡単に言えば、健康保険の仕組みはこうだ。〈保険会社が毎月、加入者から保険料を徴収。被保険者が保険網に含まれる医療機関で病気や傷害の治療を受けた時、保険会社が当該機関に費用を支払う〉
被保険者が通院しなければ、会社の支出は抑えられて利益が上がるわけだ。若年層が多く高齢者層が少ないのが、理想の形だ。お年寄りは病院に足を運ぶ機会が増えるから、加齢に連れて保険料が値上がりする。
低開発の北部と欧州並みの南部で地域差はあるものの、ブラジルも高齢化社会の仲間入り。と言っても、保険料の調整は消費者の反発を買う恐れがあって困難。老人憲章も、六十歳以上の保険料を上げてはならないも謳っている。
医療費は安くない。例えば日伯友好病院(大久保拓司院長)の入院費は一日、約三百三十七レアル(個室)で集中治療室(UTI)だと、約七百三十五レアルになる。両者とも食事付きだが、医薬品や治療費は含まれていない。
医師の指定した日数分を、保険会社が負担するわけだ。病床(約二百三十床)の回転率が悪いのは周知の通りで、数年間入院中の患者もおり、採算が取れるとはとても思えない。
具志堅茂信援協事務局長は「医療費は、先進国とそんなに変わらない。治療代と往復切符を支払ってでも、米国に患者を送る企業がある」と明かす。
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前述の元取締役社長は「素人が、出来る仕事じゃない」と強調。医療費の査定が困難だと、しきりに繰り返す。
「この病気でいくらかかるか把握しないとダメだし、保険料の算定も難しい。客が多いほど、リスクは分散するわけなんだけど……」。ノウハウを持った専門スタッフを揃えるだけでも、コストが増大することになる。
健康保険は現状では、赤字になるのが一般的。運送などほかの分野で、その穴を埋めているのが業界の構図だ。健保に参入するというのは、かなりのステータスを築くことになる。別な見方をすれば、健保一本やりで経営を成り立たせるのは至難の業だ。
国民の生活が安定すれば、加入希望者が増加。市場は膨らむ。だが、将来の見通しはまだ不透明だ。この元取締役社長は、重い言葉を残した。「健康保険の経営が維持出来ないのは、別に恥ではない。逆に始めたら、バカと言われますよ」。(つづく)