ホーム | アーカイブ | ブラジル料理雑記―4―ノルデスチ(中)

ブラジル料理雑記―4―ノルデスチ(中)

グルメクラブ

6月10日(金)

 二〇〇〇年九月、女性誌「マリー・クレール」に興味深い記事が載った。「私はかつてランピォンの一隊に属した」と題されたそれは、当時七十七歳の年金生活者イウダ・リベイロ・デ・ソウザが、一九二、三〇年代の北東部旱魃地帯で跳梁した匪賊の大親分ランピォン、その妻マリア・ボニータらと過ごした二年間を振り返る内容だった。
 一八九八年ペルナンブッコ州の農場で生まれ、長じて荒野に出で、最盛期には三百人の手下を率い、その首に多額の懸賞金が掛けられたランピォンは一九三八年七月、セルジッペ州サンフランシスコ河畔の町にいたところを警察に急襲され、妻と一緒と殺される。イウダも現場に居合わせたが、運良く逃げ切り、ランピォンとマリアの晩年を知る最後の「身内」としてその記事に登場している。
 父が亡くなった年ですので、私が十二歳の頃でしょうか、とイウダは語る。美貌の女の子は匪賊に連れ去られるとの噂が聞こえてきた。すると、イウダの家にも現われた。まず鶏を殺して料理するように命じられた。恐る恐る野営地まで届けた。「何もしない。心配しなくていい」。ランピォンの側近であるゼ・セレーノは、その場で指輪を差し出し「求婚」した。ぶっきらぼうに言った。「八日後に迎えに来る。他言するな。逃げても無駄だ」。家族に害が及ぶことを恐れたイウダは着の身着のまま、約束の日から、一隊との流浪生活を余儀なくされる。
 追跡の恐れのない日は、テントを張ることもできた。そうもいかないときには、樹木に寄りかかって寝たり、サボテンを屋根代わりに雨露をしのいだこともあった。ベッドはもちろんテーブルさえなかった。食べ物は、雄ヤギ(ボーデ)の丸焼きがほとんどだったという。まれに、家畜の牛を奪って殺すこともあったが限られた。最悪の場合は、ジャクバで飢えをしのいだ。マンジョカのファリーニャと水を混ぜたものである。米を入手するのは大変困難だった……。
 こうした実話報告は珍しいが、逸話をややおおげさに物語る民間伝承は数知れない。あまつさえ、ウェスタンに倣ってノルデスタン(北東部劇)と俗に呼ばれる一連の映画も、過去に五十本以上を数える。その嚆矢でカンヌ映画祭受賞作『カンガセイロ』(一九五三)のリマ・バレット監督は、匪賊の暮らしぶりをイウダが語るよりはいくらかマシな状況に設定している。蓄音機を聞きながら、テント内のハンモックで寝ていたりする。煮込みやスープを作る料理番のおばさんまで登場させた。
 一昨年九十二歳で亡くなった作家のラケル・デ・ケイロスが、脚本を共同執筆している。セアラー州出身、一九七七年に女性作家初のブラジル文学アカデミー(ABL)会員に選ばれたラケルは、北東部の食文化を紹介する本「オ・ノン・ミ・デイシャス」(二〇〇〇、シシリアノ出版)を書いたほどの料理好きで知られた。長年リオに住んでいたが、年に一度は故郷の農場に帰省し、息抜きの料理を楽しんだ。
 ――農場の朝はとても早い。コーヒー豆を挽き、飲み応えのある絞りたての牛乳を用意する。次いで、大量のマーガリンを使ってタピオカを焼き、クスクスやパモーニャを作る。朝食が終わるや、今度はランチの準備に掛かる。庭で地面をつっついている鶏を絞める。雄ヤギや羊でもいい。さらに、貧富を問わず食卓の主役であるマンジョッカのファリーニャとカルネ・デ・ソル。豆、ご飯、ケイジョ・コアリョを炒めたバイォン・デ・ドイスも欠かせない。昼食が済めばおやつの時間だ。ゴイアバ、カジュ、砂糖とアーモンド粉を和えたパソッカ……と料理の支度で始まり支度に終わるのが、この作家の農場での一日だった。
 来伯前に観たグラウベル・ローシャ監督『黒い神と白い悪魔』(一九六四)―北東地方の民衆たちの狂信と破天荒なカンガセイロを描いた―で悪夢のような北東部の第一印象を植え付けられている私には、にわかに信じ難い。ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督『乾いた人生』(一九六三)の中では、太陽が照る荒野で主人公の男が「砂」を食べていた。その「砂」が、マンジョカの粉だとは当時知らなかったため、衝撃を受けた記憶がある。六〇年代初頭の映画で盛んに描かれた狂信と貧苦のイメージは罪深い。それは「ラケルのノルデステ」からは遠い世界である。
 一般論として、日本でどのブラジル映画を最初に見るかで、その人のブラジル観の基盤は左右される。そうした意味で、暴力・犯罪・ファヴェーラを扱った近年の話題作のほとんどを推薦したくない。ちょっと古いが、ヴェネツィア映画祭受賞作、レオン・イルツマン監督『彼らは喪服を着ない』(一九八一)は妥当だ。サンパウロ近郊ABC地区の労働争議を題材にし、フェルナンダ・モンテネグロが残り少ないフェイジョンの数を泣きながら数えるシーンが、またしても「貧困」を印象付けるものの、左手の小指がないルーラ現大統領が誕生した社会背景が分かる。現代史の教材にこれほど適当な映画は例が少ないだろう。
 この作品を見て、АBC地区の工場を見学しようとは思わなかったが、ルーラが金属工の労働組合長時代、マリーザ夫人と初デートしたレストラン「サンジューダス」は以前訪ねたことがある。それは、サンベルナル・ド・カンポ市デマルシ区にあり、鶏肉の唐揚げとポレンタを売り物にしている。夫人も手作りする、大統領の好物だ。
 だが、その出生地はペルナンブッコ州レシーフェ南西二百三十キロ、海抜九百メートルに位置する人口一万ほどの小さな村である。 二〇〇二年の大統領選挙を控え、五歳まで育った故郷を久しぶりに訪ねたルーラは、土地の名物・雄ヤギとソラマメ(ファヴァ)の料理を食べた。しみじみかみ締めた。それは、貧しかった幼少時代を思い起こさせたが、満ち足りた味がした。

Leave a Reply