健康広場
6月15日(水)
日伯友好病院(大久保拓司院長)は九〇年代前半に、独自の健康保険「Plano A」と「Plano B」を持っていた。
病床不足のため九四年に一旦、新規契約を打ち切り、病院増設後また加入者を受け入れる予定だった。運営団体のサンパウロ日伯援護協会(酒井清一会長)は健康保険法(九九年一月発効)を検討した結果、断念した。
「法律を遵守すると、プランの採算が取れなくなってしまう恐れがあった」。山下忠男前援協事務局長(現援協常任理事)は、無念な思いを語る。
「日系人医師に日本語の診察が受けられる」。一世の大きな期待を背負って、友好病院は建設された。八八年九月の業務開始当初から健康保険をつくってほしいとの要望があり、コロニアの声に応える形で「Plano A」と「Plano B」がスタートした。
前者は、診察から病気治療、入院まですべてを保障するもの。山下前事務局長は「一部感染症も含まれていた」と胸を張る。後者は、窓口での三〇%自己負担。入院費も、三割支払わなければならなかった。
両者ともほかの医療機関では通用せず、設備不足のため心臓病・がんの治療と臓器移植は対象から外された。
そんなマイナス面に関わらず、加入希望者がどっと押し寄せた。「日系人に便宜を図りたいと、一般のプランに比較して低価格に設定しましたから」と山下前事務局長。
加入者数はまもなく、三千人を突破した。人種、肌の色で差別するわけにいかないので、非日系人もかなり含まれていた。百二十床の病床は満床状態が続き、入院が必要な患者を収容不可能になったため、新規契約の打ち切りに踏み切らざるを得なかった。
神内病棟は九七年に竣工して、病床が一旦約二百四十床まで増加。新たな加入者を受け入れるため態勢を整えようとしたとき、健康保険法が立ちはだかった。
「だって慢性病も扱わないとダメだし、医師が認めればUTI(集中治療室)の入院日数にも制限がないんですよ」。山下前事務局長は、大きな衝撃を受けたという。六十歳以上の高齢者が加入者の五割を占め、プランが不採算事業になることは確実だった。
「通院回数の多いお年寄りを全体の一割ぐらいに抑えないと、おそらく維持していくのは無理でしょう」。
ポルトゲーザ病院で、五百万レアルかかる手術をした人がいた。手術後、保険で払ってほしいと主張。裁判に持ち込まれた。山下前事務局長は「健康保険法発効前の契約だったので、友好病院に支払い義務はなかった。冷や冷やさせられました」と明かす。
このほか、消費者保護センターに苦情が入った件も、少なくなかったそうだ。ほかのプランに移ったり、死去するなどして加入者は減少。六百人ほどになっている。
日系コロニアの高齢化は、周知の通りだ。老齢年金を十分に受給している一世は、限られた集団のはず。保険に加入するに当たって、子供の援助に頼らざるを得ない人もいるだろう。
援協の定期総会(今年三月)でも、コロニア向けに特別価格で健康保険を開設することは出来ないかと会員から質問が出た。困窮者救済を使命とする援協。本音では、期待に応えたいと言いたかった。ぐっと、こらえるしかなかった。
赤字が膨らんで組織そのものが崩壊してしまっては、もともこもないのだから。(つづく)