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ブラジル料理雑記―5―リオデジャネイロ(上)

グルメクラブ

7月8日(金)

 ノエル・ローザはサンバの音楽家だった。「バラ色のクリスマス」の意味にも取れるメルヘンチックな名前だが、貧困、売春、犯罪、欺瞞といった人生の影の部分をよく表現した。愛の歌でさえしばし皮肉が痛烈で、苦味に満ちていた。
 一九一〇年生まれの彼は満二十六歳で死んだ。石川啄木の享年と一致している。どちらも結核で夭折した。きっちりと横分けされた髪型や、色白で端整な顔立ち、繊細な面影も共通する。少なくとも私の目にはそう映る。ただ、啄木の出生は彼より二十四年早いので、この世で人生が重なった時期は二年でしかない。
 ノエルは終生ボヘミアンとして生きた。ギターを担いで友人らのいる酒場を巡り歩き、冗談を飛ばしながら歌った。リオデジャネイロ北部ヴィラ・イザベルの生家で息を引き取るまでそんな生活を続けた。
 一方、「歌は私の悲しい玩具」と言った啄木は「一生に二度と帰ってこないいのちの一秒」を惜しみ、「ふるさとの訛りなつかし」とつぶやきながら、故郷の岩手から離れた東京で生涯を閉じた。
 啄木の銅像は郷里にもあるが、新聞社の遊軍記者として働いていた時代に過ごした函館に建つのが有名だ。ノエルのはヴィラにしかない。酒場の椅子に足を組んで座っている彼に、給仕の男性がいまサービスしようとしている。そんな凝った構図の作品である。
 朝からビールとブランデーを交互に飲んでいたという、ノエルにとってビールは酒ではなかった。食事だった。原料の大麦の栄養価を友人に説いて回っていた逸話さえある。彼は固形物を人前で食べることを避け、外食する場合は、スープを頼むことが多かった。
 体力には自信があり二十代で命が尽きるとは夢にも思っていなかったのは意外にも啄木で、ノエルは出生時、医者によってかんしで引っ張り出された影響から生来アゴに欠陥があり、右頬が麻痺していたのだ。歌を「悲しい玩具」にしたかったのは、障害を持っていたノエルの方だろう。
 ところで私のリオでの行動範囲は、セントロおよび南部に限られるので過日の夜、北部のヴィラ・イザベルを訪ねる道すがら、心持ち緊張していた。タクシーはフラメンゴで捕まえた。セントロに入り、ゼトゥーリオ・ヴァルガス通りに出た。進行方向右手に市庁舎、セントラル・ド・ブラジル(中央駅)が過ぎ去るのを見ていよいよ不安は増した。歩行者が少なくなるにつれ落書きが増え、街灯が減る代わりに、丘の斜面に建築学を無視してへばりつくファヴェラの、無数の明かりが迫ってきた。
 緊張は時間を遅延させる。出発してから二、三十分も走っただろうか。距離的にはたいしたことないので、もっと短いはずなのだが。ノエルがかつて往来したヴィンテ・オイト・デ・セテンブロ街に到着しほっとした。別段リオらしいとはいえない典型的なブラジルの雑踏の商店街である。
 まず、銅像が建つトビアス・バレット広場を詣でた。思い出した。以前この辺のライブハウスに来ている。マンゲイラ(名門サンバチーム)の歌手ジャメロンのコンサートだった。来伯して間もない頃で、サンバなんてと軽んじていたのに、泣けた。サンバを聞いて涙が出たのは、このときのジャメロンの歌声と、後になって知ったマンゲイラ創設者のひとりで、不世出の作曲家カルトーラの作品に触れたときぐらいだ。
 そのカルトーラは一九一〇年生まれだから、ノエルとも友人関係にあった。ヴィラ・イザベルの、とある酒場ではつまみの余りを煮込んだスープが毎晩作られ、ノエルはそれを飲んでいたらしいが、年少のカルトーラの家に出掛けてご馳走になることもあった。ものの本によると、そのスープは牛の骨髄の肉、トマト、タマネギを煮立てた濃厚仕立てで、柔らかい生パスタも入っていたという。
 ノエルがスープを好んだのは必ずしも、身体的障害のせいだけではない。リオの酒場、つまりボテキンでは多種多彩なスープを揃えているし、一般に冷えた生ビールと共に味わうのはカリオカの嗜好だ。特に、ずっしりと重い黒豆のスープは定番である。揚げた豚の皮、香菜、刻んだタマネギなどを好みで加える。
 スープとビール、一般に相反する温度の品が好相性なのは面白い。年中暑いリオならではの習慣かもしれない。冷たいものばかりを取り入れていても、身体に悪いだけだ。汗をかくことで心地よい涼感を覚える、一種のサウナ療法だろう。
 ヴィラで飲むなら、ヴィンテ・オイト・デ・セテンブロ街238で三十五年間営業を続けるペチスコ・ダ・ヴィラの野菜スープが、昔日に変わらない。同街からティジュカ区を目指し十分ほど歩けば、ソッポォン95(ペレイラ・ヌネス街95)。スープを得意とする店で、カニ、エビ、タラ、アグリオン……と品揃えは市内でも随一だ。フランスに赴任し帰国した大使が、南仏料理ブイヤベースにヒントを得て作らせ、その大使の名前で呼ばれ普及したリオ伝統の魚貝類スープ、レオン・ヴェローゾにも定評がある。
 啄木は、嵐山光三郎の言を借りれば、「詩人としての高い矜持と負けず嫌いで見栄っ張りの浪費の結果、金を借りるためには見えすいた嘘をつく。そのくせケチで、人に金を貸すときは大げさに嘆いてみせる……分不相応な贅沢と傲慢」な性格だったようだ。
 対して、ノエルは近所に配達された牛乳を飲み、ビールをその代わりに置いて、「僕のビールで栄養をつけたまえ。僕はあなたの牛乳を飲んで体を毒す」のメモを残した―など、ただの気取り屋ボヘミアンではない、ほほえましい無邪気な一面が語り継がれる。
 彼の残した歌では「誰でもないジョアン」に出てくる男が、私にはノエルと重なってみえる。
 〈誰でもないジョアンは老いてもないし若くもない/夕飯を食べるのを忘れるために昼時に腹いっぱい食う……一分も働かず/無一文で遊ぶ/葉巻を吸いながら街を歩く/危険に身をさらすことをしない/敵もいないし意見もない/人生の理想は持たず/家や食べ物、愛にさえ興味がない/多くの人は見栄っ張りで財を見せびらかすが/本当の幸福を享受していない/なんて幸せなジョアン〉

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