グルメクラブ
2005年7月22日(金)
青空の天井が迫ってくるようだ。近年「陶芸の里」として脚光を浴びるクーニャ市(サンパウロ市から約二百二十キロ)の標高千メートル以上をうねりながら走るスカイラインには、冬とは思えない強い日ざしが照り返していた。わたしたちの車はエンジン音を響かせ、周囲に広がる放牧地で午睡中の牛にカツを入れながら、疾走していた。
三時間前に町のホテルでニジマス料理を食べていたわたしと同行のB氏だが、腹をすかしていた。ストレスのない環境だと消化も早いらしいのだ。目的地のレストランは州立海岸山脈公園道にある。市街から海岸のパラチに向かうスカイラインを十一キロ行き、さらに未舗装の山道を九キロほど下ったところだと聞いていた。土地の事情に明るいB氏も知らない場所だと言いながら、アクセルを踏む足には自然に力が入る。早く食べたいの一心である。
アスファルトが途切れ山道に入ると、「別世界」に迷い込んだ気がした。おばあちゃん、おかあさん、むすめの女性三世代が、馬とロバの混血種ラバに乗って悠々と歩いている。純朴を絵に描いたような褐色の少年に道を尋ねた。「ここからね、十二、三キロも先に行くとヒョウが出るんだよー」とも教えてくれた。
細い枝を水平に伸ばしたパラナ松が立ち並ぶ姿が見え始めた。その実であるピニョン料理を食べに行くことになっている。前夜に知り合った陶芸家のサンドラ・ベルナルディーニさんの紹介である。クーニャに日本人らによって登り窯が造られ三十年を記念する陶芸展会場でのことだった。
ピニョンのパテやマリネが酒のつまみに供されていたので、専門のレストランはないかと訊いてみたところ、「アトリエの近くに腕のいい調理人がいるから、電話しておくわ」と言った。ただし、山の奥だと。
一九五三年生まれのイタリア系三世。曽祖父はサンパウロ市で初めての陶磁器店を開業した人物だ。FAAPで造形を専攻し、クーニャに拠点を移したのは九九年のこと。以来、ガス釜を使用した楽焼を作っている。十三人を数えるクーニャ在住陶芸家の中で都心から最も離れた場所に位置する、そのアトリエから目当てのレストランまでの距離は三百メートルと近い。
サンドラさんをまず訪ねた。イタリア語やフランス語名の日本の女性雑誌が泣いて喜びそうな欧米式ログハウス風のオシャレな建築だ。愛犬ヨークシャーテリアはスパイクと名乗った。自家菜園で野菜をつくり、乳牛の世話や養蜂もしている。この風景と生活スタイルが、さっきまでのラバがのそのそ歩き、裸足の少年がいた「別世界」と陸続きであるとは思えなかった。
待望のレストランに出かけた。簡素なインテリアだが、テラスもあり、清潔な感じや手作りの壁飾りに好印象を抱いた。店の前はサッカーグランドだった。傍らでは豚が飼育されていた。エサをあげている子供たちがいた。B氏は「今年のクリスマスにはどれを食べるんだい」と訊いていた。空腹は人を錯乱させる。店の主人シダさんにあいさつ後、台所に招かれたわたしも、そこから垣間見えた裏庭で大変なものを目撃した。黄色いアヒルの足と赤いトサカを持った生物が歩いていたのだ。食い意地の張ったときに生じる妄想の一種だろう。驚いている自分に言い聞かせた。以前に豚もいいが、羊も食べたいなあと考えていたとき、目の前の豚がメェーと鳴いたのを覚えている。
シダさんが用意してくれたのはコロッケからファロファ、鶏肉の煮込み、ご飯まですべてにピニョンを取り入れた料理だった。デザートのケーキ、ドッセ、プリンも、ピニョンをベースに作られたものだ。独特の酸味と苦味がある。栗のような歯ごたえがいい。とりわけ、デザートに合う素材だとわたしは思った。セルフサービス方式・十レアルで食べ放題、わたしたちのほかにも数組の観光客風情が食べていた。
お客に交じって、シダさん一家の子供や近所の少年らが店内でピニョン料理をほおばっている光景は、ほほえましかった。客の連れてきた赤ん坊が泣けば、シダさんの子供がベビーシッターに早代わり。客の子供が食後暇を持て余せば、グラウンドで一緒に遊び、「クリスマスのごちそう用」(B氏)の豚にエサをあげたり。客と店側の境界線がほとんどない。台所や裏庭に勝手に入っても注意されないので、客はみんな気軽に出入りし楽しんでいた。
あの珍禽獣はやっぱり、空腹の錯覚だったのだろう。腹を満たせば、普通のニワトリが歩いていた。裏庭にいたら、シダさんがザルに入れたピニョンを小屋から持ってきて見せてくれた。試しにつまんでみた。渋くて吐き出した。シダさんはほがらかに笑った。オレンジ色の実をたわわにつけたレモン・カイピーラの木があった。もぎ取って、匂いをかいだ。――昔々、こんな「別世界」に住んでいたことがあるような、そんな記憶が体の奥底から掘り起こされた気がした。
◎
シダさんのレストラン「フォゴン・デ・レニャ」は、エストラーダ・パルケ・エスタドゥアル・ダ・セーラ・ド・マール8キロ。サンドラさんのアトリエ(電話12・3111・1946)の手前三百メートル地点にある。