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サンパウロの中のフランス=前編

グルメクラブ

2005年8月5日(金)

 二十歳の頃、二カ月ばかり、パリをうろついていたことがある。
 ハタチ。――若かった。
 マグリット・デュラスの自伝的小説「愛人ラマン」の主人公のように、「十八歳でわたしは老いていた」わけではない。
 かといって、「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生で一番美しい年齢などとは誰にも言わせない」(『アデン・アラビア』)と書いた、ポール・ニザンみたいな反逆精神を持ち合わせてもいなかった。
 北陸の雪国出身の田舎者ゆえに都会に憧れ、気弱で浅はかというオマケまでついた平凡な二十歳だった。
 それでも、パリは、わたしの心を躍らせた。いまでも忘れられない。
 「もし若いときにパリに住む幸運に巡り会えば、後の人生をどこで過ごそうともパリは君とともにある」
 パリを知っている人なら誰もが一度は、このヘミングウェイの言葉を実感することがあるだろう。
 記憶の中のパリが鮮やかによみがえるとき。それはどんな場所/状況でか。
    ――――
 フランス革命記念日(七月十四日)付エスタード・デ・サンパウロ紙が、「サンパウロの中のフランス」を一ページ特集していた。 町の風景からレストラン、お菓子屋、カフェまで、在住フランス人が紹介する場所は多岐に渡った。
 ただ、登場するのは、伯仏文化連盟や高級ブティック、五つ星ホテル関係者らハイソな方々ばかり。
 だからだろう。フランスを想起させる風景として挙げられていたのはルス駅、ベネディット・カリスト広場、ヴィアドゥット・ド・シャと、凡庸な回答が目立った。車ばかり利用して、街をフラフラ歩く習慣がないのが見え見えだ。
 サンパウロの魅力を絵葉書レベルでしか体験していないようだ。パリと同じ多国籍移民の町としての表情に注目するとか、匂いや雰囲気にも「共通点」を見出して欲しいのに。
 パウリスタ通りに昨年オープンした大手フランス系書店を挙げていた人は、「フランスの店と同じ感じだ」と喜んでいた。
 だが、あの本の虫が多いフランスの空気が本当に再現されているだろうか。
 当時、わたしの足は一日二、三回はパリの同店に向かったので、よく覚えているが、サンパウロの様子とは明らかに違っていた。
 座り読みしている客が多いことに驚かされた。本の端を折ったり、しおりをはさんで棚に戻していた人も。通いつめて読み切ってしまうのか。わたしはおおいに感心させられた。
 カフェのテラス席で新聞を読みふけっている姿を、そこここで見かけたのも印象深い。彼らにとって、町の本屋やカフェは、自宅の延長なのだろう。
 ブラジルには「自宅感覚」で町を活用しようという精神が欠けている。だからゴミを投げ捨てるし、本屋やカフェも少ない。
 例外はジャルジンス区か。仏伯文化連盟のアルノー・モローさんはいう。
 「パリのように車に乗って移動しなくても、本屋やカフェをゆっくり巡って楽しめるね、あそこは」
 モローさんが薦めるルートをたどってみた。
    ――――     まず、アラメダ・チエテ街178のパティスリー・ル・ヴァン。パティスリーとはお菓子屋の意味。ヴァン(ワイン)という名のビストロ(食堂・居酒屋)に併設されている格好だ。
 ま、期待せず入店する。こりゃスゲー、逆転ヒットだ。多彩なガトー(ケーキ)。まばゆいばかり。
 モローさんは、ここのエクレアがサンパウロで一番おいしいという。
 サクサクの生地にチョコクリームが包まれ、表面にもチョコが。がぶり。「!」。詳述すると陳腐になるのでやめる。エクレアとは「稲妻」の意。すばやく食べないとクリームが亀裂から閃光のように飛び出すことに由来するそうだ。
 町についてのコメントは凡庸だったが、グルメ大国で鍛えられた舌を持っているだけはある。食に関しての意見は的確だ。
 と思いつつ、モローさんお気に入りのカフェ、サント・グロォン(オスカル・フレイレ街413)へ。
 「広いテラス席があるところ」がいいそうだ。
 ここは、高級時計などで知られるカルティエのクロディーヌ・ネクトゥーさんも推薦していた。
 「テーブルや椅子までパリのカフェと似ている」
 深い緑色の丸テーブルと籐の椅子。テラス席では、ビールやコーヒーを片手に新聞や雑誌、本を読みふけっている客が四人いた。
 セラード、スール・ミナス、モジアナなどブラジルコーヒーの代表的産地、ブルーマウンテンやエチオピアの豆も揃える。焙煎用の大型機械を設置してあったり、パリの模倣に終わらない、コーヒーの国ならではのこだわりのカフェだ。
 ただ、頼んだサンドイッチに不満が残った。肝心のパンがイマイチだった。フランスパン屋に行こうと思った。新聞を読み返した。
 グラン・メリアー・モファレジ・ホテルのマリエ・アン・バウアーさんの発言に目が留まった。
 「ドゥース・フランセのクロワッサンが最高です」
 住所はアラメダ・ジャウー街554。カフェから徒歩十分くらいの距離だ。
 そこは、ドゥース=穏やかの名の通り、ゆったり過ごせる。ショーケースの中のパンやケーキは「作品」が「展示」されているといった方が相応しい。
 クロワッサンとは、三日月のこと。むかし、オスマン・トルコとの戦いに勝利したウィーンで、トルコの象徴・三日月型のパンがつくられた。それがフランスに伝わったという。
 購入した翌朝に食べたが、そのうまさはイグアスの滝ぐらいの驚きだった。 焼き立てだったら、グランドキャニオンだろうか。
 フランスパンをめぐる忘れらない風景がある。
 パリでバゲット(棒)型のそれを買うと、新聞紙で巻いてくれる。包みからはみだしてしまう先端部は、家に持ち帰る前に食べる。バスや地下鉄の中でも、そんな人々を毎日見かけたので、わたしも真似ていた。
 おいしいバケットとフランス語の新聞を捜して、ハタチの記憶を味わいたい。

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