グルメクラブ
2005年8月5日(金)
パラチといえばピンガを意味した時代があった。
歴史遺産の旧港町とサトウキビ蒸留酒の名が、同義で使われていた。
例えば、一九三八年。カーニバルのヒット曲『カミーザ・リストラーダ』の中に次の一節が見当たる。
〈縞のシャツを着て/町に出かけた/彼はお茶を飲みトーストを食べる代わりに/パラチを飲んだ〉
金の輸出港として栄えた十八世紀、甘い煙をたなびかせた蒸留所は百を数えた。その良質なピンガは宗主国ポルトガルを経由して、欧州各地に出回った。
一九〇八年の産業商業博覧会(リオ)で、パラチのタンジェリーナ(マンダリンミカン)風味のアズラジーニャが金メダルを受賞すると、そのピンガの名声は一層高まった。
蒸留所の数は今日、往時の十分の一に減って、八十以上の蒸留所が建ち並ぶミナス州サリナスに「王座」を譲り渡している。がアズラジーニャのように土地の果物や香料を生かしたピンガでは分がある。また、伝統と洗練、その格と気品は赤土の田舎サリナスの及ぶところではないだろう。
格で思い出したが、六月末に八十八歳で亡くなったドン・ジョアン・デ・オルレアン・イ・ブラガンサが関係していたマレー・アウタもパラチのものだ。曽祖父はブラジル最後の皇帝ドン・ペドロ二世。フランスで生まれ、一九三〇年代に来伯し、海軍の軍人となった。第二次大戦にも参加した。その後四十年以上にわたってパラチに住み続け、曽祖父も愛したというピンガに晩年を捧げた。
たくさん種類がありますけど、どれを買って帰ったらいいですか。日本人観光客から尋ねられると、皇室をたいへん敬う国民である点を考慮し、土産話にもなるだろうと、この一本を幾度となく推薦してきた。
二十六日から二十八日まで恒例のピンガ祭りがパラチで開かれ、五つのパラチ産ピンガ(コケイロ、コリスコ、ケーロ・エッサ、ムリカナ、イタチンガ)を無料で試飲できるが、マレー・アウタは購入するしかない。生産量が少ないためだ。ゆえに、サンパウロでも熱心に捜さないとなかなか出会わない。先日リベロ・バダロー街340の老舗食材店カーザ・ゴディーニョで見かけたが、まだ在庫があるかどうか。
サンパウロからの最終便は午後十時発だったと思う、チエテのターミナルからバスに乗ると、パラチには午前二時ごろ到着する。黎明の旧市街の風情が好きな私は、宿には向かわず、ぶらり一人歩きを楽しむ。
琥珀色の明かりがぼんやりと照らす石畳と、潮の香りと、コロニアル様式の建物しかない世界だ。船着場前の広場までたどり着くと、遊園地がある。動かないメリーゴーランドの白馬の上で、土地のピンガを飲む。月を眺めて。――
キザもキザ、大キザな行為に違いないが、これがパラチでの絵柄と思えば、悪くは映らない。「白馬の騎士」に憧れる土地の娘がふと現われて、声をかけてきたらどうしようと、三十路を迎えた男が赤い顔してドキドキしてしまうのだ。