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地中海はボーダレス1

グルメクラブ

2005年9月1日(金)

 日本と中国の料理を出すレストランがあって、その店名はソウルという。
 なんてことは無知や勘違いを別としてあまり例がなさそうだが、ギリシャ及びシリア料理を得意とする店が、(レバノンの首都)アンマンを名乗っていてもさほど違和感はないと思う。
 なぜか。ギリシャ、シリア、レバノンを含む地中海沿岸諸国はかつてオスマン帝国の支配下にあり、おおむね共通した料理を持っているからだ。その料理はすなわち、仏中の料理と並んで「世界三大料理」のトルコ料理からの影響が強い。
 だからといって、トルコとシリア料理を提供するレストランがアテネだったり、あるいはギリシャ・シリア料理店の名がイスタンブールであったりすれば恐らく問題視されるだろう。
 アラブ系とユダヤ系が激しく対立した過去がないうえ、結婚しているケースさえ珍しくないブラジルではあり得る話かもしれない。だが実際、歴史的事情を顧みればその可能性は極めて少ないのが現実だと、最近観た映画『タッチ・オブ・スパイス』で認識した。
 二〇〇三年に制作されたギリシャの作品である。八月十八日から同二十八日までサンパウロ市内の文化スポーツ施設SESC各所では「地中海」をテーマにした芸術祭が開かれていた。映画、演劇、造形など様々な分野の作品が紹介された、その機会に接した。
 隣国同士の仲の悪さはフランスとドイツ、日本とどこかの国を見るように珍しくはない。ギリシャとトルコの不和も根が深い。
 しかし、トルコにはギリシャ人が数多く住んでいた時代もあった。事情が激変したのはトルコ(オスマン帝国)からギリシャが独立した一八三〇年以降のことだ。関係が悪化するたび、強制退去させられるなどその数は減少した。
 映画の主人公であるギリシャ系の男も、イスタンブールに住んでいたが、一九六四年、七歳のときに追放され、両親らとアテネに移住するという設定だ。
 幼年期を過ごしたイスタンブールでの思い出が描かれる場面が印象的だ。多彩なスパイスを商う祖父の家が主な舞台となっている。
 「人生は料理と同じ。深みを出すのはひとつまみのスパイス」「塩(しっぱい経験)がなければ、人生も料理も味気ない」
 そんな名セリフの数々に感心させられた。
 イスタンブールは東西の文化が混在、交差する要所だ。そこでスパイスを通じて世界を考える祖父の言葉は、周辺諸国の料理(人生)哲学を抽象普遍化して物語り、かつ具体性をもって迫ってくる。
 中でも、「ガストロノミー(美食学)にはアストロノミー(天文学)が潜んでいる」にはしびれた。料理の世界は宇宙ほど深遠であると。その哲学は中近東、地中海を貫くものだ。
 映画に登場してきたトルコ人、ギリシャ人の食べることにかける熱意と努力は圧巻だった。女性は一日中、台所に立っている。かの地域には詰め物や巻き物、練り物など手間の掛かる料理が目立つし、食卓に並ぶ品数も多いのだ。
 料理修業はそんな訳で早くから始まる。主人公の幼な友だちの女の子は、実際に調理可能なママゴト道具を持っていたほど。真似事でないからそれはもうママゴトとはいえないのが。
 一般に長じて嫁げば、ヨメに代々の味を仕込もうと袖をまくって待っている一族の女性たちがいる。夫の評価も厳しいので、手を抜けない日々が死んで星になるまで続くことになる。
 男性が厨房に入るのは珍しいようだが、主人公の男には料理の才があり、コックになるか、天文学者になるか迷った。結局、後者を選ぶが、ひとりイスタンブールに残った祖父がアテネにやってくると聞いた彼は得意の料理を準備する。
 ヒヨコマメのペースト、ブドウ葉でひき肉を巻いたもの、アンチョビがのったサラダ、豆のコロッケ、肉団子……。特に肉団子は家庭の味として作られるシーンが映画で散見された。
 「肉団子にクミンは当たり前だが、ときにはシナモンを入れるような意外性も人生の重要な局面では必要なんだ」とは、スパイス哲人のおじいさんの言葉だ。
 中近東、地中海といえば、音楽、ダンスの宝庫。それは生活の一部である。で、もうひとつ、忘れ難いのが、くだんの幼なじみの女の子が主人公に料理をお願いしたときの文句だ。
 「あなたがもし料理を作ってくれたら、わたしは踊るわ」
 いいでしょ、このセリフ。料理と音楽、ダンスは不可分――その混在一体化したところに生まれる人生の妙味を味わい尽くそうとする、彼らの哲学の一端を垣間見た気がした。

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