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実録・サンパウロ市ハンバーガー戦争3

グルメクラブ

2005年11月11日(金)

 わたしは山に近い村で生まれた。豪雪の日はプラスチック製のミニスキーをはいて、小学校に登校した。
 このままだと、人生が雪に埋もれてしまう。真剣に悩み始めたのは中学に入学した頃だったかと思う。
 県庁所在地N市に憧れた。海もある。市内に進学したい。切実に夢想した。
 その当時、野球部に在籍したわたしは坊主頭。山の夕日に向かってあぜ道をひたすら走った。汗臭い部室で先輩のしごきに耐えた。
 だから、高校での部活はテニスがいいだろう、と考えた。かるーく練習した後は、ガールフレンドと自転車に乗って市街を駆ける。ハンバーガーショップに寄って恋を語り、夕暮れの海岸で×××。
 緑色のテニスコート、ハンバーガーショップ、そして海に落ちる夕日――こそ、理想と考えた都会の三大風景だった。
 などと昔を振り返るのも、ブラジルのハンバーガーショップの歴史を知ったからだ。驚いた。テニスの選手がリオデジャネイロの海岸に開業したのが、嚆矢だという。
 コパカバーナに一九五二年、誕生したボブズがそれ。創業者のアメリカ人ロバート・ファルケンバーグは一九四八、九年のウィンブルドンを制した名テニスプレイヤー。店名は彼のニックネームから取った。
 一九二六年ロサンゼルスの生まれ〃ボブ〃は、父親の仕事の都合で幼少期をブラジルで過ごしている。後年ブラジル人女性と結婚し、リオに移り住んだ。
 〃ボブ〃は一九七二年にアメリカに帰国。その二年後には経営権も売却した。がチェーン展開は順調に進んで、今では業界最大手の一つに成長している。国内二十三州に三百九十一店。創業以来、「ブラジル人の好みを常に追求する」がスローガンだ。
 これが功を奏しているのだろう。店舗のある州の数では、世界のマクドナルド(二十一州と連邦区に約千二百店)を上回る。
 ところでマクドナルドも、ブラジル一号店はリオ・コパカバーナにだしている。日本進出より八年遅い一九七九年のことだった。サンパウロ市では一九八一年にパウリスタ通りに出来た店が最初だ。
 マラクジャジュースとグァラナの炭酸飲料、バナナタルト、そしてケイジョ・ケンテ(とろけるチーズのパン)は、ブラジル限定の商品である。
 世界百二十カ国で事業を展開、普遍的な味とサービスを提供している印象が強いが、微妙に地域色を打ち出している。
 日本ではてりやき味、韓国ではブルコギ(焼肉)味といったように。
 インドでは宗教上、牛豚が食べられない人向けに羊肉を用いたり、あるいは菜食主義者対象の肉類を一切使用していないのもある。
 文化習慣にあわせて、素材や味付けを変更できるのはハンバーガーの強味だろう。「人類食」。こう呼ばれるゆえんのひとつだ。
 さらに、牛肉と一口にいっても、各部位からつくることができる。最もポピュラーなのはフラウジーニャだが、ピカーニャでもおいしい。
 イタイン区の人気店ジェネラル・プライム・バーガーではそれらに加え、羊肉、腸詰め、豆腐、「非肉類」などの素材でつくったものが揃う。
 素材に合ったソースも用意している。フラウジーニャはチミチェリ(香草風味)、ピカーニャは肉汁を使ったステーキソース、羊肉はミントとヨーグルトのソース、豆腐はわさび。それぞれアルゼンチン、アメリカ、中近東、日本の代表的な風味付けだ。さすがはハンバーガー、グローバルな料理だ。
 でも、業界の競争の激しさは自動車業界並み。ジェネラル―のあるジョアキン・フロリアーノ街は市内有数の激戦区だ。200―500番のわずか三百メートル区間に四軒のハンバーガーショップが営業、しのぎを削る。
 古い話になる。二〇〇四年十二月三日付本紙に、アメリカの大手ハンバーガーショップ、バーガーキングがいよいよブラジルに上陸するとの記事が掲載された。
 バーガーキングの戦略は有名だ。いつも意図的にマクドナルドの隣り、あるいは前に出店する。そんな事情を踏まえたのか、見出しは「マクドナルドに殴り込み」。まるでやくざ同士の抗争みたいだ。
 だから、今シリーズのタイトルをつけるに当って、迷いはなかった。「実録」「戦争」。日本の仁侠映画を参考にした。

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