グルメクラブ
10月17日(金)
季節感を味わい尽くす、まさにそんな喜びに浸ることのできるレジャーにピクニックがある。
いまは春爛漫。草花の匂いと陽光を思いっきり吸い込みながらの食事は格別だし、なんといっても粋だろう。
ブラジルきってのグルメ雑誌「Gula」九月号が時宜を得た特集を組んでいた。ずばり「屋外で食べよう」。この国ではまだまだなじみの薄いピクニックのあれこれを紹介している。
ただ、英仏の歴史事情に関する著述が専らだったのが残念。サンパウロのどこがピクニックに最適か、あるいは、ブラジルらしい工夫について―など、具体的な助言が欲しかったところだ。
同誌が参考にしているのは、イギリスの百科事典「ザ・オックスフォード・コンパニオン・トウ・フード」で、その歴史的起源を中世に求める。すなわち、英仏の王侯貴族が狩猟に出掛ける際、ハムやタルトなどを携帯し野外で食べ始めたのが嚆矢というのだ。
しかしピクニックが現在のような形を取るのはどうも十九世紀半ば以降らしい。日本の某研究家の見方によれば、「ピクニックは1802年に誕生して流行。当時の階級社会にあって、ホストとゲストがはっきりしないピクニックは、アナーキーな集まり(社交)ともいえた」そう。
同誌はヴィクトリア王朝時代(一八七三―一九〇一)の話を挙げている。ここにも「インフォーマル」な空気のなかで行われたとの記述はある。ただ、食器やグラスにはたいそう気を使い、その料理メニューもかなり豪華だった。伊勢エビのマヨネーズ和え、良質のシャンパンといったものまで持ち出していたというから驚く。
一方で、レモナーダが欠かすことのできない飲み物だった、とする記述には素直にうなづけた。
近代英国のピクニック考に関しては、チャールズ・ディケンズやジェーン・オースチンの文芸作品を参照したい、とすることでいずれの研究家も一致するようだ。仏国の方はやはり印象派絵画に注目したい。
ルノワールやセザンヌにもピクニックを題材に取ったとものがあるし、何といってもモネの「草上の昼食」(一八六三)が広く知られる。
パリ・フォンテーヌブローの森で男女がピクニックを楽しんでいる図だ。バスケットからはパンや果物がこぼれている。
しかし、女性の一人が真っ裸。それも悪びれる風もなくこちらをほほ笑んでいる。その姿は当時でなくとも相当奇妙に映るが、さすがはフランス? 「インフォーマル」な点では英国を頭ひとつ抜いている。
前出の日本の研究家は、仏メーカー、ルイ・ヴィトンのピクニック・セットには三百万円の代物もあった、と報告しているから、贅を尽くした当たりも、あっぱれ、というべきか。
雑誌の末尾では、アジアの事情に話を移し、先祖を奉り開かれる中国の祝祭的ピクニックに言及。ぶたの丸焼きや〝百年物の卵〟も登場する、とそのキテレツな盛大さを称えている。
日本の月見や花見の習慣を評しては、「日本人にとってのピクニックは美学的な経験である」と持ち上げた。
花見での乱痴気騒ぎを知るわれわれ日本人としては苦笑いするよりないが。