グルメクラブ
10月31日(金)
本稿からスペイン編。その歴史的経緯からアラブ文化とヨーロッパ文化の混血地域とされる国の移民が伝えた料理を綴っていく。
スペインを指し、「ピレネー山脈を越えたらそこはアフリカ」といったのはナポレオンだったか。
かの国の気候や文化にはアフリカに通じるものも確かにある。これに「食事の合間にだけ仕事する」というエピキュリアンな気風が加わる。こうしてスペイン移民は人種・文化が混交するラテンの国ブラジルによく適応した。
それが災いに転じたのだろうか。ブラジル文化に定着したといえるようなスペイン文化は少ない、との見方が根強い。
一八二〇年から一九七〇年までの間にブラジルに渡ったスペイン人は軽く七十万を超える。これはイタリア人、ポルトガル人に次ぐ数だ。しかし、今日のブラジルに溶け込んだスペイン起源の文化となると、これといったものが研究者でさえ簡単には挙げられないでいる。
料理も例外ではないようだ。ブラスの移民資料館発行「サンパウロ州のスペイン移民」を参照した。
伝わった料理について触れた部分には、ヒヨコ豆のスープ、プチェロ(肉野菜類を深鍋で煮こんだもの)、パエジャ(サフランで海の幸か山の幸を焚きこんだ米料理)、ガスパチョ(トマトベースの冷製スープ)、イカのワイン煮、サングリア(フルーツを漬けたワイン)、チョリソの名がみられる。
チョリソはさておき、ほかの料理がブラジル人の間でどれほどなじみ深いものだろうか。
強いて街角で出くわすといえばプチェロかもしれない。通常、ヒヨコ豆、腸詰め、豚の脂身、生ハムをとった後の豚の肉、ジャガイモ、野菜を煮込んだもので、アンダルシア地方の名物コシードとほぼ同じ料理と思われる。ラ・マンチャの男も食べたであろう鍋物だ。
セントロでは「Fuentes」(R.seminari149 電話228・1680)で毎週火曜日と日曜日に出している。野趣に富んだ素朴な味わいは、内陸部の家庭料理の代表的存在といえよう。
一方、プチェロほどに普及していないが、同じくアンダルシアは夏の名物といえばガスパチョだ。気候を考えればこちらの方がブラジルとの相性が良さそうだが。ブラジル人の頭にはスープ=熱いものという先入観みたいなものがあって、冷製スープは敬遠されがちなのだろうか。
いずれにしても、スペインではマクドナルドに置いてあるほどの国民食なのに、同国移民が多いブラジルでほとんどみかけないのは不思議だ。
あまり値段を気にせずにスペイン料理のあれこれを食べたいなら、タツアペ区にある「La concha」(R.coelho lisboa677 電話6673・5847)が手ごろ。完熟トマトをベースに、ピーマン、キュウリ、タマネギをミキサーにかけ、オリーブオイル、ワインビネガーなどで味付けたガスパチョはもちろん、珍しいアヒルの生ハムや、米の変わりにパスタを用いたパエジャ・フィデウアがお薦めだ。