グルメクラブ
11月14日(金)
サントス旧市街ルイ・バルボーザ広場に創業一九一一年という老舗のレストランがある。
「カフェ・パウリスタ」の店名通り、内装はいかにもコロニアル様式が色濃く、壁のタイルに描かれたカフェザールの風景画にだれしもがまず目を奪われる。
ここに立ち寄ったときにはすでに午後七時半を回っており閉店間際だった。辺りに人影は少なくなり、驟雨が降り注いでいた。
やれやれ…。そんな気持ちで席に着いた。というのも当てが外れっぱなしの一日だったからだ。
スペイン人の街、サントス。メモリアル・ド・イミグランテが刊行する「サンパウロ州のスペイン人」には確かにそう太文字で書かれていた。
「一九一三年の統計。サントス市在住のスペイン人は八千二百九十一人で、その数はポルトガル人に次いだ。多くは大西洋に面したガリシア地方の出身である」などの記述がみられたのも間違いない。
サントス市アナ・コスタ通りにはコロニア機関のセントロ・エスパニョルがあるという。一八九五年創立。レストランも併設するとのこと。ここを訪ねれば取材はほぼ完結するはずと、サンパウロ市から下ってきたのだがその思惑は見事に外れた。
セントロ内のレストランのメニューにはなるほどスペイン料理のいくつかが並んでいた。チョリソ、タコのマリネ、コシードといった具合だ。ただ、「日常、注文する人がいないからね。前もって言ってくれないと作れないよ」と店員はにべもない。
親切にも、彼はうまいパエリアを出すという海岸沿いのレストランを紹介してくれた。結局そこも見るからに観光客向けと分かる店構えと値段設定で、がっかりさせられた顛末。
仕方なく観光局でもらったレストランガイドでスペイン料理店を探したが、ひとつも見当たらない。メキシコ料理やポルトガル料理店の住所はあっても、だ。恐らくサントスのスペイン料理は海産物料理の大波に飲み込まれている、と考えるに至った。
スペインよ、ああスペインよ。波間にはかなく消え入ったか。
日も暮れて教会の鐘の音が寂しく響き始めたころ。旧市街に戻りバスターミナルへの帰路、偶然目の前に現れたのが「カフェ・パウリスタ」だった。
バーカウンター上部の棚に黒くすすけた酒瓶が数本並んでいるのに気付いた。ラベルは腐食が進んでいたが、「ティオ・ペペ」であると確信した。スペイン・アンダルシア地方の銘酒シェリー(酒精強化ワイン)、なかでも最も知名度の高いブランドである。
メニューには店の歴史が記されていた。「創業者は三人のイタリア人。一九四〇年にスペイン人ジョゼ・ロドリゲス・アルヴァレスが買い取った。爾来、その家族が六十年以上にわたり経営する」
内装はコロニアル風、と一口に言ってはみても、どことなく異国情緒が匂った。鼻を利かせればトイレ方向にアラブ的幾何学模様の飾りが。厨房入り口を飾るタイル画は闘牛の場面を描いたものだった。
提供する料理の多くは、正統派ブラジル料理。そのなかにスペインがちらり顔を覗かせていた。ジャガイモなどが入ったスペイン風オムレツと、タコの田舎煮込みの二品がそれだった。
「『田舎』とはどこのことか」。そう尋ねると、「先代はガリシア地方の出身だった」と店主。ガリシアといえば、豊富にとれる魚介類を使った料理が特徴。ケルト民族の末裔とも言われ、フランス・ブルターニュ地方、ノルマンディー地方との料理ともよく似ている、と聞く。
この店のタコのガリシア風はまさに絶品だった。オリーブ、ニンニク、トマトで煮込んだシンプルなものだが、ようやく辿りついた〝サントスのスペイン〟の味は忘れがたい。
「一杯試すか」。店主はすすけたティオ・ペペの瓶を片手ににっこりと微笑んだ。何十年前かに封印されたその液体は、アンダルシアの太陽を吸ったような麦わら色をそのままに保ちつづけているようにみえる。 遠く故郷を偲んでは杯を重ねた主(あるじ)たちを失った今もまだ……。