グルメクラブ
11月14日(金)
セアラー州都フォルタレーザで毎年七月に開催されるお祭りに「Fortal」がある。
その名にちなんだディスコがサンパウロ・リベルダーデに出来たのは二年ほど前のことだったろうか。
最近の統計では、サンパウロ市に住む東北地方出身者の数は生粋のパウリスターノのそれを上回るそうだ。
東洋人街にも少なからず流入してきているようで、先日、邦字紙を置くバンカにセアラー州の新聞が貼ってあるのをみた。
世界一美しい海岸と世界一貧しい旱ばつ地帯を抱える同州はいま、輸出産業が好調らしい。記事によれば、「前年度比三五%増」を見込んでいる、という。
とりわけ伸び行き著しい品目はカスターニャ(ブラジル原産のナッツ)。海岸地帯の砂地で栽培されるフルーツ、カジュの種だ。
スーパーなどでしばし目にする、カスターニャのブランドといえば「Iracema」だろうか。
「America」のアナグラム(並び替え)から生まれた言葉として知られるがジョゼ・デ・アレンカールの小説タイトルでもある。ポルトガル人戦士と恋に落ちるインディオの少女の名前だった。
さて、このアレンカールを母方の家系にもつセアラー州出身の女流作家ラケル・デ・ケイロスが四日に亡くなった。
女性初のブラジル文学アカデミー(ABL)会員。代表作「O Quinze」(一九三〇)は「旱魃」の題で日本でも刊行されている。
グローボのノベーラになった「Memorial・de・Maria・Moura」(一九九二)も人口に膾炙する。グロリア・ピレスの主演で話題に。これを機に原作者の知名度も一気に高まったとされる。
ラケルは食通の作家だった。生前よくこんな言葉を口にしていたそうだ。
「わたしは作家としてよりもコックとしての方がずっと腕がいいのよ」
「O Quinze」はその後相次ぐ旱ばつ地帯を舞台にした文学の先駆けで、そこには彼女自身と家族の体験がベースにある。
しかし、セアラー州・キシャダーのファゼンダで育った彼女は文学よりむしろ料理に関しての方が早熟だった。大きな台所で友人らと語り合いながら一緒に料理を作る喜びを早々と覚えた。
「セルトンの家で最もにぎやかな場所は台所。社交場よ。友人の家に着けばすぐに台所に直行するの」
三九年にリオに移り住んでからも、人生の最良の日々はたびたび訪れたキシャダーにあった。ラケルはいう。
「料理は文学と同等の洗練さと神聖さを備えると思うわ。多分料理の方がもっと素晴らしいかも。文学は孤独なものだけれど、料理はみんなで楽しめるお祭りでしょう。本当はものを書く作業なんか大嫌い」
スーパーのポン・デ・アスカルが発行するグルメ誌「Sabor」〇〇年八月号に明かしたところによれば、好物は羊。セルトンのご馳走だ。
雑誌でラケルは故郷に伝わるユニークないい伝えを紹介している。「羊は捨てる所がない。使えないのは鳴き声だけ」―と。
大手各紙は五日付文化面トップ記事でその死を悼み地方主義の作家の業績を称えた。一方、ラケルが政治的に〝右往左往〟し、女性初のアカデミー会員でありながらフェミニズムへの関心は薄かった、などと半ば批判的な記述が目に付いたのも事実だ。
ジャーナリスト兼作家(翻訳家でもあった。翻訳作品の方が自著より多い)で、リオのレブロン海岸に住みながらセルトンを愛した、などの両義性を持ち合わせたことについても言及されていた。
ただ、息を引き取る直前までキシャダーのファゼンダを思い描き、「あそこには丸々と太った羊がわたしを待っている」と考えていたのがほかならぬラケルという作家だった、との指摘が見られなかったのは、片手落ちだったような気がしないでもない。
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ラケルの好んだカシューナッツ菓子のレシピ(六人分)。
カシューナッツ三百グラムを用意する。コップ二杯の水と砂糖五百グラムで作ったシロップを作り、さらさらの状態になったら火を止める。そこにナッツを入れてあえるだけ。冷えていくうちに白色の砂糖がナッツを衣のように包む。