グルメクラブ
11月28日(金)
黄色い飯を好むのはイベリアの文化のようである。
そう考えてすぐに思い浮かぶのがパエリアだが、セミナリオ街一四九にあるスペイン料理店「フエンチス」(電話228・1680)の名物「アロス・ア・カイピーラ」もやはり黄色かった。
料理は鶏肉のリゾット風。その名前からはしかしスペイン料理らしからぬ印象を受けた。店員の発言が示唆に富んでいた。
「この料理は正式にはスペイン料理でもブラジル料理でもない。鶏肉、米ともに世界共通の素材。貴方の国にも絶対同じような料理があるはず」
黄色くはないが強いてリゾットのようだ、といえば日本に「おじや」がある。
実はスペイン語の「オージャ(深鍋)」から由来する、とも聞く。同じような料理の範疇に入れても良いと判断し、「あるね」と話を繋いだ。
スペイン系二世という店員はうなずいて続けた。
「うちは白ワイン、サフランを使っているからスペイン料理ではなかったとしても、やはりスペイン風でしょう」と。
さらに興味を引いたのは次ぎの指摘、「ブラジルにも鶏肉とペキで炊いた黄色いご飯があるよ」
食した記憶がある。バンデイランテスたちが建設した、いにしえの都ゴイアスに伝わる一品だ。
「四百年組」と称される伝統一族がサンパウロには存在する。うちラミレス、ブエノ、トレドなどの祖先はスペイン移民である。彼ら一部がかつてサンパウロから奥地探検に赴いた。その最終地ゴイアスで、黄色い飯を懐かしく思った。だがサフランはない。そこでペキで代用してみた。
というのは推論だが、前回紹介したサントスのガリシア系移民によるタコ料理についても同様に思う。
本来、ガリシア風であれば、ゆでタコに塩、オリーブオイル、パプリカでさっと調味するところを、パプリカなきゆえに、同じ赤色をもつトマトを使って煮込んだのだ、と。
足りない材料はほかの品で代用し調理法も工夫してみよう。最初は郷土料理の再現を目指して始まった行為が創作に繋がっていく。ここにブラジル料理のひとつの特性があるとみる。
ところで、日本とイベリアの文化を米料理で比較するとき、前者は赤く炊き、後者は黄色く炊く、と分かる。南蛮文化と接触のあった日本だが、黄色い飯はさすがに奇異に映ったか。しかし一方で、「天ぷら」なんかはすんなり受容した。
「天ぷら」で一杯というときには、日本酒がもちろん最高だがシェリー酒も合う、とアドバイスしていたのはだれだったろうか。
卓見と思えたがその調理法がイベリア起源であれば当然のことだ。シェリーのなかでも辛口でやや塩気を含むマンサニーニャ・タイプが相性良し、とされる。
先日タツアペ区のスペイン・レストラン「ラ・コンシャ」(電話6673・5847)で、マンサニーニャの「ラ・ヒターナ」を試飲しつつ生ハムなぞをつまんでいると、店員が思いがけないことを口にした。
「タツアペにはスペイン系の人が結構多く住んでいましてね」
その昔スペイン移民はブラス、モッカに多く居住していたがイタリア移民の圧倒的な存在感を前にかすんでいた感が強い。時は流れいまやサンパウロ市きっての新興住宅街のあちこちからスペイン系の名が聞こえる、という。まさか、と疑った。
商業地区を彷徨する。スペイン人好みの海産物レストランやバーを彼らの存在証明の指標にした。確かに数軒を確認。しかし、最終的に意外の念が消え去ったのは「ア・カーザ・チューロ」(ロドリゲス・バルボーザ街二三二、電話)の存在を知ってからである。
この店ではあの細長い揚げパンを専門に売る。主人はバルセロナの出身だ。チューロの屋台はいまやブラジルの風景の一部となっているが、その起源は実はスペインにある。
カスタードプリンが同国を代表するデザートとすれば、チューロは朝食の顔だろう。濃厚なホットチョコレートに浸して食べるのが好まれる。
同店の名物は一メートルはあろうかと思われる長さのそれだ。宅配ピザの容器のなかでとぐろを巻く。ブラジルでよくみかけるものとは違って、これは空洞を持たない。トッピングは外にちょんちょん、と。
もっとも中にチョコなどを詰めるおなじみの方も同店が一九七四年に売り出した商品らしい。
喧騒から離れた住宅街に立地する。お客さんの大半は小さな手にコインを握ってやってくる。未来に受け継がれていく甘いスペイン、こういうのもなんかいい。伊勢エビの乗った高価なパエリアよりもずっとブラジルの食文化に溶け込んでいる。