グルメクラブ
12月12日(金)
マンマ・ミーア(ああ、お母さん)。イタリアでは万事につけ、神ならぬ母頼み、となるのはよく知られた話。料理の方でもマンマの味は絶大だ。
これに対し、日本の家庭料理の中心にはおばあちゃんが鎮座するようだ。普段はともかく、伝統的祭事となれば割烹着姿のおばあちゃんが袖をまくり年季の入った料理をこしらえる風景が一般的にみられる。
長らく黒人奴隷たちに料理文化を任せてきたブラジルはどうか。おばあちゃんとお母さんの中間的な存在といえそうなドナがその一役を担っているよう映る。
「ドナ~」と呼ばれるレストランが巷に目立つことからも分かるが、イタリア料理がマンマの味とすれば、ブラジル料理はドナの味となろう。
初版は一九四〇年。ブラジル料理の〝聖書〟とまでいわれる本に『コメール・ベン―ドナ・ベンタ』がある。増刷は七十回。売り上げ百万部以上を記録する不滅のベストセラーだ。
歴史を振り返れば、その読者は一般市民に限らない。ジャニオ・クワドロスやジュセリーノ・クビチェッキといった歴代大統領主催のパーティーにも指針を与えた、とされる。
また、軍事政権下、デンマークへ政治亡命した者たちはこの本を片手にクリスマス晩餐会の献立を練った、との逸話も残る。
それではこの七百ページを超える料理書を執筆したドナ・ベンタとは一体どこの誰だろうか。
(1)ミナスで食堂を経営していたおばさん(2)バイーアの有名政治家の奥さん(3)かつてリオの王宮に出入りしたポルトガル系の女中(4)架空の人物。
その表紙には眼鏡をかけたおばあさんが。どうやら西欧系の白人らしい。さてどれか。
正解は(4)。最近テレビ化もされた『シチオ・デ・ピカパウ・アマレロ』を書いた児童作家で評論家のモンテイロ・ロバットが創作した人物である。ロバットは発行元の創立者の一人だった。
一九四〇年といえば、まだブラジルには各国から移民が押し寄せている時代。そこに収められたレシピはブラジルのものだけではなかった。移民の持ち込んだ祖国の料理に加え、いわゆるインターナショナル料理の作り方も取り入れた。
編集に当たっては当時の新聞、雑誌、小冊子などが毎週のように掲載していた一口料理メモのたぐいを一冊に詰め込んだ、それが「ドナ・ベンタの本」の正体のようだ。
驚くことがある。過去六十年間に行なわれた改定はたった一度のみ、という。それも使用されている言葉、言い回しを現代風に直しただけで、中身にはいっさい手を入れられてこなかった。
さすがにここにきて時代錯誤感が強まったようで、このほど、コンパニア・エジトーラ・ナショナルが刷新に踏み切った。ナタール、年始用の料理もふんだんに掲載されているので、十二月末までには書店に並べたい意向だ。
豚のラードは植物油などで代用できる、とか世の健康食志向が十分に反映された内容に生まれ変わる模様。ただ、修正点があったとしても、旧来のレシピを「伝統の味付け」という形で残すよう配慮している。
ブラジル料理の〃聖書〃の中身がこうして改まったのを機会に思うのは、佐藤初江さんの『実用的なブラジル式料理と菓子の作り方』のことだ。初版はこちらの方が六年も先になる。
栄養学の視点から書かれた実用書としての評価はいまも高い。増刷も続いているようで、サンパウロ市内の有名書店でも時折みかける。
日本語であそこまで懇切丁寧に解説されたブラジル料理本は今日にいたるまでほかに類がなく、コロニアの「ドナ・ベント」として現代版の登場が待たれよう。