グルメクラブ
2月6日(金)
退屈な家庭を、口やかましい女房を逃れるため、人と話し意見を闘わせるため、人々は、カフェに出かける。 仏の作家、ユイスマンスはかつて「諸事百般」なる随筆にそう書いた。 未知の人々の中で夢想の孤独に気を紛らせてくれると同時に、会合と交易の場所がカフェである、と。 イギリスではパブが、イタリアではバレッティが、それに相当する。そこは「近代社会において、古代都市の広場が勤めていたのと同じ役割を果たしている」(ユイスマンス)のである。 で、ブラジルの「広場」はどこかといえば―、ボテキン(居酒屋)をおいてほかにない。とりわけ、旧都リオのそれが、パリのカフェに通じる性格をよく持ち合わせている。 パリを歩けばカフェに出くわすごとく、リオでは代わりにボテキンをそこかしこにみる。他都市ではそうはいかないだろう。カリオカの日常にとってボテキンは不可欠な場、その人生と深く密着しているのだ。 リオ市文化局が発行する「ギア・リオ・ボテキン」(カーザ・ダ・パラヴラ出版、二十九レアル)という本がある。このたび三年ぶりに改訂版がでた。五回目の刊行。帯には「ボテキンはカリオカの魂そのもの」とある。 麗しのリオ。コパカバーナもコルコバードもいい、しかし、市井の人々やその風俗の魅力はボテキンで味わってもらいたい、との声がそこに聞こえてくる。 街の機智を理解する十六人の文化人がこれぞ「リオのボテキン」と認める五十店を選出、一挙紹介しているのがこの本である。それぞれの店がある街区の成り立ちにも詳しく、都市風俗史本としても十分に楽しめる構成となっている。 冒頭、写真に登場するのはリオ・ボテキンの象徴たち。セントロ「パラディーノ」の建築(一九〇六年創業)、ラパ区「ノーヴァ・カペラ」のウサギ肉とブロッコリー・ライス、コパカバーナ「セルバンテス」のパインとチーズ、フィレ肉を挟んだサンドウィッチ等々……。 レブロン「ジョビ」の、セントロ「ルイス」のショッピがうまいと紹介するのは当たり前。各店の名物料理、内装、店員、歴史まで広く紹介したガイドに仕上がった。手に取りながめるだけで、カリオカのエスプリが息吹となって伝わってくる。 ただ、レブロン「ブラカレンセ」などは写真では一ごく普通の小さなバールに映るので、実際、足を運んでみなければ、その魅力を心底味わいがたい。ここ三版連続して、「最高のボテキン」に選ばれている場所だ。 訪ねるなら、付近の住民が集いだす夕闇降りるころがいい。その場は、各人の身の上話や巷の話題で持ちきりである。こちらは海岸帰り、ビーチサンダル履きでふらり行く。生ビールが来る。その際、黒豆のスープ、マンジョッカ、エビ、カツピリチーズが詰まったボーリーニャなどを注文する。さらに二杯、三杯と。 ビールに酔っているのか、それともリオの空気に酔っているのか。そんな風に惑い出したら、ボテキンはもうあなたの体の、魂の、いや、人生の一部になっている。という感覚は「ブラカレンセ」ならではのものである。