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サンパウロ お国自慢料理=お粥は台湾料理の粋=濃厚な客家の味付け

グルメクラブ

3月5日(金)

 この季節、東洋人街を歩くと甘酸っぱい独特の香りをわずかだが鼻腔に感じることがある。しばらく不思議に思っていたのだが、それがどうも「龍眼」の香りらしいと気づいた。
 中国南部が原産の果実で細い枝に直径約二センチの丸い固そうな実が生い茂っている。その身の形はいわずもがな「龍の目」を想像させる。薄褐色の殻に包まれている果肉はライチによく似ていて半透明で汁気も多そうだ。
 東洋人街の食材店も近頃は華人経営者の寡占状況にあり軒先に並ぶ「龍眼」の〃視線〃をたまさか感じる。いきおい、街の象徴である大鳥居の柱にも龍が絡みつくのではと半ば本気で案じたが、それをして杞憂といえるかどうか。
 華人社会は移動性の高いグループである。台湾系だけでブラジルに十万人を数えるというが全体となると正確な規模がつかみづらいところである。しかるに市民一同実感するのは彼らの破竹ともよべる社会進出ぶりで、これと平行して中華文化圏への関心がこちら側に芽生えてきている事実も見逃せないだろう。
 市内の映画館で中国、台湾の映画が上映される機会が増えているのもその一例といっていい。国際的な評価の後押しもあろうがサンパウロ国際映画祭ではこのところ〃二つ中国〃からの映画が常に待望されているうえ、台湾を拠点に活動する蔡明亮監督が昨年来伯した際には有力紙がその動向を連日報じたほどだった。
 台湾映画でグルメを扱ってよく知られるのは李安の「恋人たちの食卓」(一九九四)である。舞台は台北。それぞれの恋に悩む娘三人と暮らす父親は元一流ホテルのシェフだ。中国料理の生き字引という設定の彼が腕を振るう料理の数々に見ごたえがある。冒頭その食卓に並ぶメニューを挙げてみよう。
 腸詰と家鴨の盛り合わせ▽鶏とフカヒレの煮込み▽小海老のそぼろレタス包み▽鴨のガツとイカの炒め▽鯉の甘酢あんかけ▽クラゲと胡瓜のあえもの▽豚腿肉の氷砂糖入り煮込み▽鶏、草魚などのしゃぶしゃぶ▽燕の窩のスープ▽蛤の塩焼き▽干貝と芥子菜の煮込み(小説『飲食男女』新潮社より抜粋)
 この父親は大陸出身者で中国の伝統を料理に突き詰めることでアイデンティティを維持している、とする見方がある。よってその爛熟たる料理は大陸的ケレンが効きすぎているきらいがある。本来の台湾料理は素材感を生かしたシンプルさが身上であろう。
 台湾の食卓をめぐるもうひとつの忘れられない場面が侯孝賢の映画「非情都市」(一九八九)にある。戦後大陸の国共内戦から敗走してきた国民党軍はそれまで台湾に住んでいた「本省人」の弾圧を開始。やがて有名な「二・二八事件」(一九四七)へと発展する。作品ではこの時代下に生きたありふれた家族を襲う不幸などが描かれるが、その後半、遺された人たちが食事をとるシーンが挿し込まれる。悲しみに暮れながらも淡々と食べつづける彼らの姿が印象に残る。
 実際の映画で何を食べていたかはうる覚えだが、この場面を演出するならお粥を食べさせたい、といまでも思う。台湾式のお粥は広東のそれと違って余計な調味料をほとんど使用していないので、お米はつややかな白色を変わらずたたえている。その無垢な表情が灰色の銀幕になんとも愁傷に映るはずだとにらんでいる。
 そんなことを考えながら、リベルダーデ区コンセリェイロ・フルタード街一〇九五の中華料理屋で台湾粥を食べた。四種あるうち選んだ一品は細かく砕かれた「皮蛋」が入ってきた。アヒルの卵を発酵させた黒色の珍味である。
 最小の素材で最大の滋味が引き出され、かつ白磁のようなきめと輝きをもつお粥は、恐らく究極の料理といってもよい。だが、台北にはお粥屋台が連なる横丁もあるほど国民に身近な食べ物だ。料理屋ではみかけなかったが、サツマイモを用いた「芋粥」というのも庶民の味である。
 台湾料理のルーツのひとつは中国・福建にあり、「芋粥」も福建系の人々の食習慣を反映しているとはものの本で学んだ。さらに客家の料理からの影響が強いとも。すなわち醤油を基調とした味付け、乾物や塩漬けをよく使うといった特徴である。
 近く東洋人街に台湾系客家の文化センターが完成する。世界に四千五百万人が散らばる彼らの起源を辿ると、いにしえの故郷は中国の広東、福建、江西の境、千五百メートル級の山々がつらなる山岳地帯にあったと分かる。その後漢民族の内乱を避け南遷するが、肥沃な土地はすでに人がすんでいたので人里はなれた山奥での居住を余儀なくされた。これが保存のきく食材を重用した大きな理由である。
 料理屋に「客家云々」と名のつく品があったので注文したら「タケノコと細切り乾燥肉の炒め」が運ばれてきた。乾燥肉の匂い、塩気、脂はいずれも強く、濃厚な味わいによって刹那、身がほだされそうになるのを覚えたほどだったが、大ぶりなタケノコのザクザクと爽やかな歯ごたえに救われた。味付けの濃い保存食はおかずを節約できる利点もあったのだろうとかみ締め、お粥をかきこんだ。
 そうして客家の宿命からうまれた料理をすべて胃袋におさめると、歴史のうねりに翻弄されながらも大家族で食卓を囲み黙々と生き抜いてきた民を思って瞑した。(写真=左から「タケノコと乾燥肉の細切り炒め」、ピータンのお粥)