ホーム | アーカイブ | 食の話題=コーヒー業界に高級志向=「カフェ」の流行が拍車

食の話題=コーヒー業界に高級志向=「カフェ」の流行が拍車

グルメクラブ

3月5日(金)

 コーヒーは必ず「ブラック」と決めている。そんな男が田舎のドライブインに立ち寄った。男はそこのコーヒーが「砂糖ぬき」であることを確認すると満足げにすすった。
 「砂糖は入れないの?お兄さん」。給仕のおばさんが尋ねた。「苦いのが好みなんでね」と男は答えた。
 おばさんは男をきびしく叱った。「甘くないコーヒーを飲むなんて! よっぽど甘ちょろい人生を送っているのねぇ、あなた……。実生活でも少しは苦み苦しみを味わいなさいよ」と最後は激励口調だった。
――男はおばさんを厚顔とは思わなかった。つかの間半生を省みると、どうもその通りだと感じ入った。
 あまつさえ、人生で苦労してきた男の自己主張としていつか甘党に転向してやろうとまで念じ、おばさんに礼をいって店を出た。
 知人からこの話を聞いたとき、最近巷に目立つ何某カフェたちのことを考えた。急速に中流市民の需要を開拓しつつあるのは確かだが、見ず知らずの客の人生を「甘い!」と看破するだけでなく励ましてもくれるおばさん給仕がはたしてそこにはいるだろうか…。
 先日何某カフェに入ってみた。なかでもよくその名を耳にする「スプリシィ・カフェス・エスペシャル」(アラメダ・ロレーナ街一四三〇)。建物正面はガラス張り、天井の高い店にいる客は先端の流行誌をめくるか、同伴とスノビッシュに語らっていた。
 軽薄そうなといって中傷にあたれば現代若者風の店員がいる。今式だが白々しさの漂う内装がある。看板のコーヒー豆マークはピンク色の電光表示である。そのいずれもがなんだかブラジルコーヒーの歴史とは相容れないなァと思った。
 一七二七年にスリナム経由で伝来しパラー州に植え付けられし以来の栄光と挫折―。そのブラジルコーヒーの歩みが「スプリシー」にはまったく刻印されていないのだ。
 専門職としてコーヒーを作る人のことを、このての何某カフェでは「バリスタ」とイタリア語で呼んだりする。ワインの「ソムリエ」に相当する「バリスタ」に聞けば、コーヒーに関するたいていのことを教えてくれる。かといって、味わいの深い人生訓や小話が彼らの口をついて出たりすることなど皆無といっていいだろう。
 何某カフェのメニュー。ブラジルコーヒーの多彩な品揃えに打たれはしても、いま世間が注目する冷たいコーヒーカクテルのバラエティにはさしたる感動はない。リキュール入り、アイスクリーム入り、熱帯フルーツ入り、と十数種並べて売り物とする店も見当たるが、人の注文するものなどせいぜい二、三種に落ち着くのが常である。
 と、ここまで何某カフェへの雑言を書き連ねてきた折り、「ヴェジャ・サンパウロ」誌二月号の特集が目に入った。何某カフェの躍進を伝える記事だった。
 「サンパウロ市では月間四十六億杯のカフェが飲まれている…エスプレッソが占める割合は、うち二千百万杯に過ぎないが、コーヒーの専門家であるバリスタは百人を下らない…二〇〇一年からその競技会が始まると人気職業のひとつとして定着した」
 ある「バリスタ」が雑誌で「一杯のコーヒーの香り、味は一杯のワインと同じくらい複雑」といっていた。これは実感として分かるような気がした。ピーナッツを焼いたような匂い、酸味は弱いが味わいに芯があって後を引く……などと説明書のあったフロレスタ社のコーヒーを飲んで、なるほどと思ったことがかつてある。
 ブラジルコーヒーは欧州のワインと同じく厳しい格付けで峻別されている。混合異物の多少で七段階、粒の大きさで七段階、味の具合で六段階と、思いのほか厳密な基準がある。
 高品質の太鼓判が押される三大産地は「セラード」「南ミナス」「モジアナ」で、それぞれ風味の特徴を評して、「柔らかい」「酸味のある力強さ」「甘苦くしっかりしている」とされるのが一般的なようだ。
 これらを含む高品質コーヒーの数々は何某カフェの専売特許ではなくなり大手スーパーの売り場でも購入できるようになった。良いコーヒーのほとんどは輸出用、と考えられていた時代も過ぎつつあるということだろう。
 一月末からはサンパウロ四百五十年記念をうたったプレミアムコーヒーも登場。サンパウロ州のコーヒー関係業界などが開催したコンクールで最終選考にまで残った五つの銘柄「ダマスコ」「ボン・ジア」「コーシュペ」「フロレスタ」「チラデンテス」あわせて三万トン―が期間限定で販売されているのも話題である。
 容器、包装も以前とは明らかに違う。趣向が凝らされている。スコッチウイスキーか、チョコレートかと見まがうものさえ出回る。中流市民の高級志向は最も日常的な嗜好品=コーヒーにまでおよび、今後この動きにさらに拍車が掛かっていくものと予想されよう。
 ヴェジャ誌は書く。「ここ数年、高品質コーヒー豆の市場は年間15~20パーセント増加しているが古くからある銘柄のそれは同1・5パーセントに過ぎない」と。
 「スプリシー」で働く女性はそろいのTシャツ、ミニスカート、ハイソックスのいでたちだった。こうして時代が「現代」を装えば、おばさん給仕たちの居場所が次第に失われ、街角で人生を学ぶ機会もいずれなくなることに一部の市民は不覚にもまるで気づこうとはしない。