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サンパウロ お国自慢料理=太陽、太陽、青空……=ギリシャ料理は光の中で

グルメクラブ

4月16日(金)

 五一年十二月、作家の三島由紀夫は北南米欧州への旅行に出発する。ハワイに寄港し南米に飛んだ。初めての海外旅行だった。
 翌年二月にサンパウロを訪れリオのカーニバルを見るため、南米滞在を予定より延ばした。二十七歳、「仮面の告白」「愛の乾き」などの秀作を世に発表していた文壇の寵児は、ブラジルの陽気な太陽をすっかり気に入っていた。
 その後、パリを訪れた三島ではあったが、花の都に身を置きながらも、南米を懐かしんでいる風である。
 「冬のヨーロッパを旅している間、わたしはいつも太陽にあこがれていた」
    (『外遊日記』) 来る日も来る日も頭上を閉ざしている陰鬱な空、底冷え、永遠の鼠いろ、寒色のネオンサイン……。
 「わたしはどうして人間があんな陰鬱な冬を生き続けることができるのかふしぎでならない」(同)
 盛夏のブラジルのきらめき、極彩色のカーニバルを体験したばかりの三島がそう書くのも無理はないといえる。曇天たそがれの欧州で、三島はますます旅の最終目的地アテネを覆う紺碧の空と風、乾いた光に対し憧れを募らせるのである。
 真冬の欧州を南下し、「春恋の地」へようやく辿り着く三島が、しかしそこで何をしたかといえば、日なが寝そべっては空を見上げ、ゼウスの時代を偲ぶという、ただそれだけのことだったようである。
 そうして「希望と無上の幸福に酔いしれ」、ある瞬間、三島は次のように短くも強く叫ぶことになる。「太陽、太陽、完全な太陽」 (『アテネの杯』)
 ほぼ半年の長期にわたったこの旅の、ギリシャでの見聞と体験がとりわけ後年の作品群を方向付けるとされる。だが、ギリシャの前にハワイ、そして何よりもブラジルの太陽が、青年作家のひ弱な肌を〃下焼き〃したという事実に、もっと光が当てられてもいいという人もいるだろう。
 当時、気鋭の作家として活躍目覚しく、老成ともいえる文飾を誇った三島であるにしろ、決定的な意味で、サナギから蝶になる瞬間は、五一年から五二年にかけての旅中の節々に用意されていたのである。
 こうして三島が蝶になる契機を掴みかけ、南米から欧州へ旅立つのとほぼ時同じころ、入れ違いのかたちで、ギリシャ移民がブラジルに大挙流入してくる。
 「三島 ブラジル ギリシャ」をひとつ俎上に載せるとするなら、だれであっても書き留めるにやぶさかでない「偶然」である。
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 二十世紀のはじめ、ブラジルにいたギリシャ人の数は六十に満たなかった。のちに「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるバルカン半島での戦争(一九一二―一九一三)、さらに続く第一次世界大戦をきっかけに、移住者が目立つようになる。
 統計ではそれでも四六年から五一年にかけて、ブラジルに住んでいたギリシャ人は千六百八十二人に過ぎない。しょうけつを極めるようになるのは三島が来伯した五二年、ギリシャとブラジルの二国間移住協定が結ばれてからのことである。以降、六四年までにその数は軽く一万を突破する。
 今日、北はレシーフェ、南はサンタ・カタリーナ、ポルト・アレグレまでに散らばり、ゴイアニア、ベロ・オリゾンテなど全国十都市にギリシャ人の協会が存在しているという。
 サンパウロ市のギリシャ系は約五千人とみられ、やはりブラジルで一番大きなコロニアを形成。多くはブラス、パーリ、ボン・レチーロに住む。移住者およびその子弟の協会、ギリシャ正教の教会もそれらの地域に集中している。
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 ボン・レチーロ。韓国人経営の洋服・布生地の問屋が街路を埋め尽くす、そのずっと以前から、ギリシャ料理店「アクロポリス」はグラッサ街三四六にあり続けている。今年で創業四十五年になるそうだ。
 グルメ評論家・記者からの支持は長く厚く、それを裏切らない料理を提供しているから、訪ねた日も午後二時を回っているにもかかわらず、いつものように満席状況であった。
 水色と白色を基調にした内装。壁にはミコノス島と、アクロポリスの丘の大きな写真が飾られている。三島ならずとも、恋焦がれてしまう、写真に映る青き地中海に降りそそぐ「完全な太陽」と、昼時のブラジル人がみせる陽気さにあふれた活気と――。身体の底から食欲が沸いてこないわけがない。
 ギリシャの料理はなにをおいてもオリーブにあるのではないか、と前菜のサラダで感得した。オリーブオイルとは、新鮮なオリーブ実の生ジュースのことだと表現した人がいたが、みずみずしいオリーブの滋味に出会い、ようやくその意をくむことができた。
 アルファッセ、アグリオン、トマト、キューリ、タマネギ、それに「フェタ」という名のギリシャで一般に好まれる山羊のチーズが盛られているサラダを、決定的に「ギリシャ料理」に仕立てているのは、オリーブの実と、ふんだんにふりかけられたオリーブオイルであろう。
 「アクロポリス」のオリーブは、口中に含むと一瞬、木漏れ日が差す。そのオイルは、「絞りたて」がそのまま閉じ込められ、輝き弾んでいるようでもある。極言すれば、太陽が溶け込んだような味を覚え、ギリシャの陽に照らされた気にさせられるとでもいえるかもしれない。
 ギリシャの代表的料理「ムサカ」を注文する。ナス、ひき肉、マッシュポテトを重ねて焼いてあり、見た目はイタリア料理のラザニアである。牛や羊の肉を串焼きした「スブラキ」がいい例と思われるがギリシャ料理には中東料理からの影響も強い。だが、いまオリーブオイルの使われ方と、この〃ラザニア〃を知れば、実は中東とイタリアの料理の中間にあるともいうべきものだと思う。
 このほか店の名物には、トマトやイカの中に汁気のあるご飯(リゾット)を詰めた一品があり、羊のあばらの焼肉があり、タコのワイン煮があった。味は総じて親しみやすく、かつ旨い。パンはゴマ付き丸型の黒パンで、これはいかにも珍しい。
 と書いてみて、「アクロポリス」のギリシャ料理にあふれる魅力を言い当てるのに、異国の料理として、ただ単に「親しみやすく旨い」とか「珍しい」という手垢がついて「くすんだ」言葉をもってかたづけるのは、どうも不十分な気がしてくる……。
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 その日、店の奥では、いかにもギリシャ移民風情の白髪の男たちが、饒舌に語り合い、ワインの栓を抜き、食事を取っていた。齢を重ねてなお豪壮な男たちが囲む食卓が、陽気な店内にあってことのほか輝いてみえた不思議を思い出す。
 「絶妙な青空、絶妙な風、夥しい光」。三島は書いた。それを知ってか知らずか、「アクロポリス」の営業は午後五時まで。まだ「光」あるうちに店を閉め、次の日の陽が昇るのを待つ。