グルメクラブ
4月30日(金)
ユダヤ料理は郷土料理ではない、宗教料理である。
確かに、イジエノポリス区にある「セシリア」はユダヤ教徒のレストランに違いなかった。ユダヤ語によるメニューが並び、第二関節から先がない手を模った蝋燭立てがあったりした。しかし、そこは同時にアシュケナージ=ドイツ・東欧系ユダヤ人の料理を専門とするレストランだった。いや、ユダヤ人の、という但し書きが不要の、まさにわれわれ日本人には親しみやすい東ヨーロッパ料理のレストランだった。
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経営者はポーランド系二世。八三年にユダヤ・コミュニティーのあるボン・レチーロ区で小さな総菜屋として出発し、ほどなくユダヤ料理の名店と目されると、ヘブライカ・クラブ内に移転。やはりユダヤ系の多い現在の地区で開業するに至ったのは二年前の十月のことだ。
ユダヤ教徒が食べる動物は草食に限られる。割れたひづめを持ち反芻することが条件となる。豚はひづめは割れているが反芻しないのでだめ。海や湖に住む生き物ではひれと鱗のあるものは食べてもよいもののエビ、タコ、イカなどは戒律に反する。また肉と乳製品は一緒に食べないが、「セシリア」はこうした戒律を厳格には遵守して〃いない〃という。
従って、宗教色は薄く、好奇心さえあれば、だれにとっても構えなしに行き着けやすい場所である。だが、さきの金曜日の夜、そこはひっそりと開店休業の様子だった。ブラジルのユダヤ系移民の数は約五万六千。うちサンパウロ市に半数が集中し、政治経済文化の多方面にいかんなく才覚を発揮しているのは周知の通りだ。対照的に、その料理で強いて一般になじみあるといえば、サンドウイッチに挟む「パストラミ」(牛の赤身肉やわき腹肉を塩漬け後、スパイスで調味、燻製して表面にあらびき胡椒などをまぶした加工品)程度でほかに何があろうか。
圧倒的な社会的存在感に較べ、食文化の不在感は皮肉にさえ映る。異教徒の料理という確たるイメージから、多くの市民は無邪気な好奇心を抱くことを不謹慎に思ってか、今日まであまり接近することがなかった。誤解を恐れずいえば、カトリック信仰を大前提とするブラジル文化への「融和」を拒否され、逆にユダヤ教徒は拒み続けてきたともいえるのだ。
―――――― メル・ギブソンが監督主演したハリウッド映画「パッション(キリストの受難)」が反ユダヤ主義を扇動する恐れがあるとして、ブラジルのユダヤ・コミュニティーを代表する十四団体が共同声明を出し映画を真っ向から非難したのは記憶に新しい。三月二十一日には、「ユダヤ人の要求によって」十字架にかけられるキリストの処刑シーンの描写があまりに「リアル」であったため(と報道されている)、ベロ・オリゾンテ市内のショッピングで信徒と共に映画を観賞していた教会牧師(四三)が心臓麻痺で死亡した。
処刑を求めるユダヤ人とみられる群集の描き方に「問題」があったにしろ、世界で宗教論争を巻き起こし、ここでもユダヤ協会による執拗な抗議声明、牧師のショック死と異例の事件が重なり、ブラジルはかやの外どころか、つい先日までまさしく騒動の渦中にあったわけだ。
こうした社会情勢に客の入りが左右されたとは思わないが、週末、午後八時のレストランに日本人客一組とはいかなる理由からかと考えざるを得なかった。さらに宗教対立に比較的無関心な、よくいえばあらゆる宗教に対し多かれ少なかれ寛容であるといえる、日本人のみがそこに佇むという構図を、ほかならぬ〃ポーランド系ユダヤ人〃の女主人がどう眺めたかと。
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ユダヤ料理の代表格「ゲフィルテ・フィッシュ」は鯉のすり身に卵、タマネギを加え団子状にしスープで煮込み、冷ましたものだ。西洋わさびと一緒に頂くのが決まりで、レストランではそれに赤カブが混ぜてあった。魚肉ソーセージやカマボコを食べる習慣のある日本人にはほとんど抵抗もなく受け入れることのできる味わいだった。
ポーランド料理の伝統を受け継ぐのは「ヴァレニケス」と「コ・クレッテン」の二品。前者はジャガイモでつくったラビオリの中にパストラミとサツマイモが入っていたり、リコッタ・チーズとカボチャが入っていたりする。パストラミの方にはシイタケと長ネギの〃和風ソース〃がかかっていた。鶏肉の練り物を油で揚げたのが後者で、その味には覚えがあるような気がした、そう豆腐をつかったハンバーグだ。
メニューには総じて練り物、詰め物のたぐいが目立つようだった。味の方は健康食、精進料理ともいえるだろうか。どことなく親近感のある料理だと感じた。誇張なく調理された素朴な料理の数々は、宗教料理にもかかわらず、いや、それだからこそなのだろう、芯のある旨みに満ちていた。
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愚かさ、残酷さ、傲慢さ、勝手さ、自己中心的……。戦争と虐殺の相次いだ二十世紀の歴史のうねりをユダヤ人問題を通して降り返るとするならば、そこに浮き上がってくるのはただ人間の欠点ばかりだ。そしてくだんの宗教論争。
こんなときに、グルメ探訪気分でユダヤ料理のレストランに出かける行為自体、愚かなのかもしれないが、年輩の女主人に日本人であることを告げると、「エウ・セイ…オブリガーダ。オブリガーダ」と。
四〇年七月、日本国リトアニア領事、杉原千畝が北米、ブラジルへの亡命を希望する主として〃ポーランド系ユダヤ人〃からなる六千人に「命のビザ」を出したというあの史実への時を越えた感謝がそこにはまたあったのかもしれない、と期したりしたのもあるいは人間の悪しきうぬぼれの証明となろうか。