子供は、お野菜食べるのが嫌いですよね。 そこで、思いきって野菜だけのスパゲッティーを作って食べさせたところ、美味しい美味しいと、おかわりをしたくらいです。 このレシピは、母がブラジルにいた時にベジタリアンの友人がレストランでオーダーした際の、一品でした。 そのレシピを母が我が家で再現し、今では時々、我が家の食卓にのぼる、定番料 ...
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ニッケイ俳壇 (853)=富重久子 選
勝ち負けの戦の炎敗戦忌
【八月十五日はわが国の敗戦の忌日であった。既にブラジルに移民していた人も、日本で敗戦を味わった人々もそれぞれに其の日のことは忘れることが出来ない。
この句にあるように「戦の炎」は勝利を叫んだ国も、敗戦の汚名をかせられた国もお互いに戦の辛酸を蒙ったのであった。敗戦という難しい季語をもって、よく省略の利いた佳句である。】
日本とチリ、海を通じる結びつき(3)=チリ・サンティアゴ在住 吉村維弘央
ペルー滞在は僅かに5日間で、5月20日にカヤオを出航しハワイ国ホノルル港に向かった。カヤオ港からホノルル港迄44日、航程5,526海里を経てホノルル港に投錨。44日間の滞在の後8月5日ホノルル港を出航、9月16日品川湾に帰着した。 カヤオ港よりホノルル港に向かう航程で乗組員の間に脚気患者が続出し、その数は130名を数えたらしい ...
続きを読む »ブラジルに来た当時=スザノ 小林弘江
ブラジルに来た当時、私はポルトガル語を全く話せなかった。ブラジルに行くと決まってからも学ぼうともせず、「行けばなんとかなる」とたかをくくっていた。そして丸3年が過ぎた今も、私は相変わらずポルトガル語が話せずにいる。 この恥ずかしくて情けない現状の言い訳をすると、私の周りには日本語があふれていて、日本語でふつうに会話ができる人達 ...
続きを読む »ニッケイ歌壇 (495)=上妻博彦 選
サンパウロ 水野 昌之昼寝時に限って電話で起こされる「間違い、ご免」という人からだ誰からか電話きそうな気配する休日つづくひとりの真昼裾分けのケーキのお礼の電話受く声の高さで喜びを知る新しき恋の話も就職も孫ともなればいつも電話なりじっくりと女を口説く要領で商談まとめる友の長電話 「評」こうした作品に接すると ...
続きを読む »ニッケイ俳壇 (852)=星野瞳 選
アリアンサ 新津 稚鴎冬日負い軍平胸像顔暗し首ふって歩く他なき時雨牛犬の嗅ぐ物より翔ちし冬の蝶どびろくや転耕とどむ術もなく土深く想思樹の実を植えにけり セーラドスクリスタイス 桶口玄海児妻掘りし里芋どれも肥えて居し移民妻にある大望や芋の秋移民妻長生き希望今年竹ここからは町の入り口イペ万朶キリストの泪 ...
続きを読む »戦後派と呼ばれて60年=イビウーナ 瀬尾正弘
早いもので、コチア青年移民はブラジルに渡って今年で還暦を迎えた。戦後移民として1955年より12年間にわたって、日本全国より2500人が移住した。18~25才までの独身移民で、戦後育った若人なので、ブラジルの受入れ側ではアプレの傾向があると危惧されていた。予想どおり、当初は様々な話題を引き起こした。 コチア移民は、コチア産業組 ...
続きを読む »練習艦隊=サンパウロ 永松通一
8月5日午前9時、サントス港のブラジル海軍桟橋に海上自衛隊の練習艦隊「やまぎり」と「しまゆき」の2隻が接岸して、入港式典が行われた。旗艦の練習艦「かしま」はリオデジャネイロに分散入港したため、艦隊の司令官不在で実習士官、個艦乗組員も半減して、過去の式典に比べると簡素なものだった。 私もブラジルに来て52年。練習艦隊とは長い付き ...
続きを読む »日本とチリ、海を通じる結びつき(2)=チリ・サンティアゴ在住 吉村維弘央(いくお)
航海日数51日、航行距離5374海里を経て、4月15日、バルパライソに入港した。日本海軍練習船の初めての訪問でもあり、伊藤艦長は詳細な報告を海軍省に提出している。その、報告の中の一部を下記する。【チリ国は南米大陸アンデス山麓の西にあり、国土は細長く北はカマロネス河を境としてペルーにつながり、東はアンデス山脈をはさみボリビア、ア ...
続きを読む »パステス (Pastéis)
ブラジルの街には、あちこちで朝市があります。 ブラジルに住んでいた頃、お買い物が終わって帰るときに、必ず立ち寄るところがありました。 それは市場の端にある「パステス屋」さんです。 実はパステスは、1940年頃にサントスの街で日本人によって作られたそうです。 そしてサンパウロに広まり、1950年頃にリオデジャネイロ、1960年頃 ...
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