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螢の光=サンパウロ 相部聖花

 『螢の光』は学校の卒業式に歌い、涙を流して学校と学友との別れを惜しんだ歌、または紅白歌合戦のあと歌われ、過ぎし一年を顧みて互いに別れを惜しむ歌として私の頭の中にあった。 最近、ある歌人の文を読んだ。 「NHK紅白歌合戦の最後に歌われる『螢の光』は、もともとアメリカやイギリスなどで大晦日のカウントダウンに歌われるスコットランド民 ...

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ブラジルでベジタリアンのススメ!

サンパウロ市内にあるベジタリアン向け食べ放題レストラン(約30レアル=約1200円)の様子

 今回のブログ子「幸」は、ベジタリアン歴8年です。「なぜ私がベジタリアンになったか」という説明は、あまりに長くなるので、いずれまたの機会に。とにかく日本では、ベジタリアンなんて希少人種に属します。まるで絶滅危惧種か天然記念物を見るかのような扱いをされるし、さらには「かわいそうに」とか「何でもちゃんと食べなくちゃダメでしょう!」と ...

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ニッケイ歌壇 (492)=上妻博彦 選

『ガリンペイロ』とは、ポルトガル語で金などの鉱採掘人、発掘人のこと。 (藤巻修允著『ダイヤの夢』より)

      サンパウロ      武地 志津 強風に煽られ落ちて傷みたる小鉢の仙人掌生気が失せる色褪せし蟹仙人掌を朝に夕に透かし眺めつ一縷の望みちんまりと蟹仙人掌の枝(え)の先に今朝みつけたり四つの蕾ほんのりと色滲ませつ膨らみし蕾は開くオレンジ色に垂れ下る枝(え)の先に花もたげ咲く蟹仙人掌の花びらやさし   「評」あの激しい土俵 ...

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ニッケイ俳壇(846)=星野瞳 選

焚火祭はフェスタ・ジュニーナ(6月祭)のことで、田舎風に装った若い人たちが集まり、大きな焚き火を囲み、大鍋でピンガに香料や砂糖を入れて煮るケントンを呑み、歌い踊ったりする。

   アリアンサ         新津 稚鴎 迷い入れし冥土の如く寒夕焼枯れるもの枯れ麻州野は夕焼けて風止みしこの静けさも夜の秋珈琲園耳の短い兎住む鋤焼きの最後は餅を入れて食ふ【一九一五年十月三日生れで、この十月で百才になられる。一字も正しく書いて下さる。字がまともに書けなくなりましたがとは云われるが。大麻州の寒夕焼が目に浮ぶ様 ...

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イースター島が日本の島?=チリ・サンティアゴ 吉村維弘央(いくお)

イースター島

 友人の常川勇久(つねかわ・いさく)さんより、「おい、こんなの興味があるか?」と渡された新聞の切り抜きはコピーの字もぼけかけ、紙の色もすでに赤茶けた古いものだったが、これを一読して吃驚仰天した。 このコピーは勇久さんのお父さんが生前大事にしまってあった遺品の一つで、書かれていたのは元在チリ公使、大使、在ボリビア大使等を歴任された ...

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移民・棄民・貴民・日系人=マリンガ 園尾彬

 私は高卒後1年半を八幡製鉄所事務員として働いた後、1958年兄の家族と共に農業移住者として船で来ました。来た当初は、「昔の『移民』とは違う。自分は戦後教育を受けた新しい『移住者』なのだ」という自負がありました。しかし、当地では『新移民』と区分されました。 農場で2年働いた後、運命に流されるまま、マリンガ、イパチンガ、日本移住事 ...

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野菜スープ

Sopa de Legumes

 このスープのレシピは友人から教えて頂いたものです。心臓病のかたの為のダイエット食だったのですが、我が家では欠かせない一品となっています。夏の暑い日に、冷蔵庫で冷やしておいたものをいただくと、冷たくて本当に美味しくいただけます。お好みでジャガイモを入れたり、スープの中にご飯を入れたりするかたもいます。

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ニッケイ俳壇 (845)=富重久子 選

『ジュニナ祭』は6月祭のこと。ポルトガルのキリスト教の祝日に起源を発し、ブラジルでは収穫祭や冬至などと併せて祝う祭り。男の子はヒゲを描き、破れた麦藁帽子にチェックのシャツ、女の子はそばかすメイクにドレスを着てクアドリーリャという踊りをおどる。この時期、学校の恒例行事にもなっている。

   サンパウロ         間部よし乃 冬帽子買って話が又弾み【どこか友達と旅をした時の事であろうか。賑やかにあれこれ帽子を選んでは被ってみて、皆それぞれの好みの帽子を買い満足して店を後にすると、またまた話が弾み愉しい旅が続いていく、というまことに女性らしい和やかな佳句。】 思ひ出の田舎へ旅を移住祭【六月十八日は移住祭でし ...

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想い出を暖めて「望郷」=クリチーバ 田口さくお

 『天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも―阿部仲麿』 この和歌は『百人一首』の中にある詩だが、仲麿が16歳の時(716年)、遣唐使留学生に選ばれ唐に入りました。仲間が日本に戻った後も唐に残り、玄宗皇帝から籠をうけ、30年以上も滞在した後、来唐した遣唐使と一緒に帰国することとなった。 唐の友人達が送別の宴を開いてくれ ...

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ふるさと=サンパウロ 梅田禎一

 『ふるさとは遠きにありて思うもの』 そんな一句を初めて読んだのは少年期でしたが、その真意が解せず八十路を越えた現在になって何となく思い当たる様になりました。 2才の年、父母と4人の姉と共に生まれた日本を離れブラジルへ移住。その翌年、母は5人の幼子と若い父を残し亡くなりました。その後の父は13才の長女を筆頭に家族のために一生懸命 ...

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