伝統食の現地化はやっぱり宿命? 先週末、ドイツ系子孫の集住地区、サンパウロ市ブルックリン区であった「五月祭り」(Maifest)に行ってみた。当地であるドイツ系の祭りでは「オクトーバーフェスタ」(10月祭り)に並んで大規模らしく、小雨にもかかわらず中々の盛況だ。 やっぱりメインは食!ということで、屋台をくまなくチェックするが ...
続きを読む »administratorの記事一覧
忍者が帽子をかぶっていたら、脱帽 居酒屋『きときと』
ズバリ結論から言うと、この4年間で訪れたサンパウロ市の日本食店の中では、ベスト3に入るうまさだった。もし忍者が帽子をかぶっていたら、脱帽ものだ。 南米だけにエクアドルの首都を連想させる「きときと」という名前にも惹かれ赴いた。雰囲気は居酒屋というより洒落たカフェ。小笠原出身の30代の兄妹が経営している。「きときと」は富山方言で「 ...
続きを読む »緊張と弛緩~ゲイパレードと抗議行動の間で~
5月に入ってから、またまたデモ(マニフェスタソン)が増えてきた。サンパウロ市内の目抜き通り、パウリスタ大通りでも15日午後7時から、今年幾度目かのW杯反対のデモが行われた。コンソラソン街の交差点に集合した一行の中には、工事作業員(W杯スタジアムの建設作業員か?)に扮して気勢をあげる者も。 現場へ赴いたのが開始直前とあってか、 ...
続きを読む »サンタクルス病院75周年
歴史から学び、次の一歩へ 理事長 石川レナト 日伯両国の協力のもとで成り立ってきた当病院の75周年記念を迎えられることは、非常に幸運だと感謝します。さらに日本病院として知られる当院の改善と継続に携われることに大きな責任と誇りを感じます。先祖から受け継いだ貴重な財産であり、管理し、さらに良くしていく義務が私たちにはあります。 ...
続きを読む »ぷらっさ=心を癒したギターの音
サンパウロ 諏訪とみ 母の日が近づいてきた。母が逝ってよりはや24年が経つ。母の記憶を書くのをも供養になるやもと思って書いている。 母はずっと長男夫婦と暮らしていたけど、その義姉が入院していたので、私が母を自分の家に連れてきた。 母は娘が三人居る、私は末っ子。健康な人で、食べ物に好き嫌いがなく手のかからない人だったけれども、家 ...
続きを読む »ぷらっさ=奇遇
サンパウロ 富田博義 去年WBCの日本での一次予選にブラジルが出場した時、その応援に日本へ行った60歳代の応援団が、日本の国立シニアチームと東京ドームで試合したと聞いた。国立市は私が通った高校のある立川市の隣の市なので大変懐かしかった。 そのチームが今度ブラジルへ来たというので、4月19日に見に行った。私もオールドボーイ野球を ...
続きを読む »ぷらっさ=友情と極貧時代
サンパウロ 平間浩二 20歳でやっと夢を実らせ、定時制高校の機械科に入学した。戦争で家を焼かれ、幼少時は、貧乏のどん底であった。中学時代に高校に行きたいと思ったが、家庭のことを思うと断念せざるを得なかった。就職してから何時か高校に行こうと夢を抱き続けていた。2年経っても3年経っても仕事の関係で時間が取れず行くことが不可能であ ...
続きを読む »ぷらっさ=三つの感動
サンパウロ 清水秀策 昨年11月、県連の“ふるさと巡り”の一行はミナス州の泉の町カシャンブーへ旅立ちました。4台の豪華バスで連なった約150人のツアー族が投宿したのは当市切ってのホテル・グローリアでありました。此のホテルで、私は3つの大きな感動を覚えましたので紹介します。 その1 ホテルに降り立った私達は大変驚きました。ホ ...
続きを読む »ぷらっさ=善人と花盗人
河合五十一 人間はそれぞれの考えをもって生きて行きます。 小生の家の前に市の小公園があります。ただ芝生だけの公園なので、殺風景に感じていました。 95歳まで働いて野菜作りを止めたので、時間に余裕が出来此処に花を植えようと思うようになり、シチオに有ったエストリッタの苗を二株植えて、大きくなるのを楽しみに手入れをしました。 2年程 ...
続きを読む »ぷらっさ=最上川
サンパウロ 鎌谷昭 ずっとずっと昔に雑誌で読んでいた。 こんなアナウンサーがいるのかな、この人たちの仕事はニュースを正しく伝えることだから、これでは困るよねと思ったのは、ある若いアナウンサー「くら王」が「くら王」がと話している。最初はなんのことだかよくわからなかったが山が写っていたから「なぁーんだ、ざおうー(蔵王)」のことか ...
続きを読む »