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文芸

自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(5)

ユイマールで住宅造り

 母にブラジルの都会に再移住する、と告げると、母は大変喜んでくれた。11年間のボリビア移民地での精神修養、僕にとっての「無形の財産」となっているものは、[一人の女性の縁の下の力持ち]から学んだ今は亡き母の言葉である。「人一倍働けば必ず成功する」―この言葉は、困難に直面する時に、いつも僕の胸に蘇る力強い言葉である。 母は、沖縄県本 ...

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ニッケイ俳壇(867)=富重久子 選

サンパウロ  土田真智女

不自由な脚にやはらか夏の草
余生とはこんなものかな月涼し
墓拝む水晶の数珠母ゆづり
俳諧は世界文学かずまの忌

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台湾人が中ポ語学習書刊行=発表会、客家会館で5日

書籍の表紙

 台湾人の郭俊麟さんが、ポ語から中国語を勉強するための書籍『中文入門』の刊行を記念し、12月5日午後2時より東洋街の客家会館(Rua Sao Joaquim, 460)で新書発表会を行う。 同書は6年前、郭さんが当地で生まれた甥に中国語を教えるため、ポ語で分かりやすく制作したのがきっかけ。「簡単に学べるものなので、ブラジル人だけ ...

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自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(4)

原始林の中の動物たち

 時間が経つに連れ、原始林の中に三線の音が鳴り響き、老若男女が一体に成り、カチャーシーで喜びを分かち合っていた。沖縄に居たころは、「ユイマール」という言葉さえ聞いたことがなかったが、ボリビアに来て初めての体験であった。一人の力では出来ない仕事を隣近所、あるいは同郷人たちが力を合わせて成し遂げていく、いわゆる「共同作業」である。  ...

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自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(3)

原始林の開拓

 密林の中には、野生の吼え猿、七面鳥、山アヒル、名も知らない野鳥の群れがグァーグァー叫び、山の中を響かせていた。まさに野鳥の天国である。イノシシ、鹿、山猫、大蛇等の動物にも出会った。豹、トラも出没するという話は聞いていたが、猛獣が恐ろしい、怖いという恐怖感はそれほどなかった。 原始林の中の怖さを身にしみて感じなかったからだと今に ...

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自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(2)

ボリビア出発前に家族記念写真。父・宏芳(こうほう)、母・光(みつ)、弟・宏(ひろし)、茂(しげる)と共に

 その数日後、第7次移民者に与えられた配分地は、ラスペタ(山亀)区地域と名づけられた。この地域の一部には、その昔牧場があったという跡地がそのまま残っていた。子牛が生まれる度に野獣に襲われ、牧牛を増すことができずに牧畜業をあきらめ別の場所に移動したという。その話は20~30年前の話だと聞かされたが、こんな原始林の中にすでに移民した ...

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移民のふるさと巡り『メキシコ』(3)=ジアデマ 松村滋樹

榎本殖民団上陸の地

 先日、メキシコ市内であった政治家に対するデモの裸踊り。見物する人は喜んで眺めているが、汚職に染まった政治屋が多いと国が廃退する。 日墨協会での交流懇親会で、同協会の会長からラテンアメリカの国はどこも同じよと厳しい意見が出て、私はブラジル人の悪口を言えなくなった。ブラジルが世界の三等国のままで終わってほしくないと望んでいるが、ぐ ...

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自分史=ボリビア開拓地での少年時代=高安宏治=(1)

ボリビア移民のはじまり。1954年6月19日、第1次移民269人が那覇港を出航する様子

  ボリビアの原始林に囲まれた入植地は、まさに昼なお暗くという感じだった。蚊はびっくりするほど大群で襲ってくるため、蚊の多い夏の方が、沖縄の米軍の払い下げH・B・Tカーキーのジァンバー長袖などを着込んで厚着をし、道を歩く時は木の葉で蚊を追い払いながら歩いていた。 日が落ちて暗くなるとますます蚊が多くなり、仕事で疲れていても緩める ...

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花伝社『K.消えた娘を追って』=軍政の闇に立ち向かう父の物語=「二度と許されない過ち」

『K.消えた娘を追って』を手に小高さん(花伝社で)

 10月に東京で出版された『K.消えた娘を追って』(ベルナルド・クシンスキー著、小高利根子訳、花伝社)には、軍政時代に娘を拉致された父親が必死に行方を追う中で出会った、不条理の数々が克明に記されている。軍政に不都合な人物は〃闇〃に葬り去られ、二度と現れることがなかった―そこには「人間を呑み込む深淵がある」―と著者は書く。 《この ...

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ニッケイ歌壇(501)=上妻博彦 選

秋篠宮殿下と紀子妃殿下が、ブラジリアで連邦議会主催の日伯外交樹立120周年記念式典に参加されるため10月28日に来伯、11月8日までの間に10都市を訪問された。

サンパウロ  武田 知子

プリンスの赤い絨毯踏みしめ来、行啓ほぎて握手交はせり
すがすがしき微笑受けつつ握手せる紀子様の手の温みじんわり
広島の神楽公演紅葉狩『八岐のおろち』の神話思(も)い出づ
相席の同輩なれど二世とて説明せるをうなづきて見る
混み会うを見越し早めの墓参なり夫逝きてより早やも八年

「評」久しく潜めていた武田(宗知)作品の本領が『じんわり』と伝わって来る一連。

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