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文芸

地震と自然のかかわり(2)=サンティアゴ在住 吉村維弘央

首都サンティアゴ・デ・チレの景観

 こんな話を小生がほぼ30年ほどご厄介になっている歯医者で、国立チリ大学歯学部の教授でもあるパロミーノ先生に話した。先生は、地震と言う現象が、どう理解すればよいのか分からないような不可思議な影響を人間にも与えるのではないかと次のような話をしてくれた。  パロミーノ先生の奥さんも息子さんも歯医者である。先生ご夫妻は一般の治療に従事 ...

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第67回全伯短歌大会=イビウーナ 瀬尾正弘

左から、JICAゲスト・与那覇博一氏、ニッケイ新聞社・深澤正雪編集長、椰子樹・安良田済氏

 1996年にパウリスタ新聞が編集した『日本ブラジル交流人名事典』の中の資料の部308頁に、サンパウロ市で1949年第1回全伯短歌大会が開かれると記録されている。同書に、2年前の1947年にサンパウロ新聞、パウリスタ新聞、そして1949年に日伯毎日新聞がそれぞれ創刊されたとも記載されている。 当時はまだ第2次世界大戦が終結(19 ...

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進出企業の必備書が発売=知的財産法を網羅

 書籍『ブラジル知的財産法概説』が信山社より発売された。日語281頁。著者は元国家工業所有権院長官のヒサオ・アリタ氏、弁護士でサンパウロ大学法学部教授の二宮正人氏。 工業所有権法、著作権法からインターネット上の権利義務など幅広い範囲に検討されている。また、フローチャートを用いて誰にでも分かりやすく掲示した。 二宮氏は「進出企業が ...

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ニッケイ歌壇(499)=上妻博彦 選

『弓場』とは、サンパウロ州ミランドポリス市にある日系コミュニティの弓場農場のこと。1935年に戦後移住者によって創立。日系人や日本人が共同生活をしながら自給自足の生活を送っている。また創立当初より「耕し、祈り、芸術する」をモットーとしており、テアトロ(劇場)もあり、恒例の年末公演では音楽や芝居、バレエなどが披露される。(写真は2014年の年末公演)

サンパウロ  武田 知子

はるばると六百キロのバスの旅春泥の中弓場の土踏み
稚鴎師の百歳祝いにボーロ切る姿は凛々とまぶしかりけり
弓場の里稚鴎師迎え百歳も六歳の子もなごやかな句座
散策に果てなく続く鈴成りの垂れしマンガは未だ熟れかね
ふくろうも蛙も鳴きてカナブンの飛び交う弓場は田舎さながら

「評」四、五首目の様なところを散策して、心落ちついてこそ、まろやかな歌も生れると言うもの、稚鴎(ちおう)氏を囲んでの句会も、また楽しからんや。

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ニッケイ俳壇(862)=星野瞳 選

『念腹忌』とは、ブラジルに俳句を広めた第一人者の佐藤念腹の命日忌のこと。ホトトギスの門人で、高浜虚子の客観写生、花鳥諷詠を理念とし、ブラジルの自然をそのまま詠んだ俳人。ブラジルでは毎年、念腹忌に俳句大会が開催され、直弟子から孫弟子まで多くの人が参加する。

アリアンサ  新津 稚鴎

受難日の肉屋の台にある聖書
草笛に今も力行応援歌
ひやひやと雨をこぼしぬ鳥曇
ランプ下げ通いし句会念腹忌
アラポンガ鳴き止めば森がらんどう
森の穂にアララが騒ぎ初明り

【投句者・新津さんは十年ぶりに第二句集を出された。この十月三日で満百才になられた作者に、心から拍手を送りたい。第二句集から六句を頂いた】

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(8)

 そして目的地のアキダウーナ市に到着、そこで小さなペンソン(旅館)で一晩宿泊、翌日町の中を散歩、80余年前父もこの道を歩いたかも、と現在は発展した街中を歩き回った。そして古い教会の前で立ち止まり、「この教会も確かに父の姿を見ただろうなぁ」、と問うように合掌。胸を締めつけられるような感じであった。 郁太郎は、「父さん貴方のお望みど ...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(7)

郁太郎夫妻とその家族、サンパウロ市に移転

土地の測量――小禄村役所時代の体験を生かして どうせ沖縄には帰らぬ覚悟で移住した。この国で幸せを掴むのだ。郁太郎はこの国こそ我らの国と心の底から誓っていた。 そんな生き甲斐を感じた郁太郎家に5男ジョージいさおが誕生、二世交ざりの9名家族になった。小学校終了後はオリンピアの町に住み込みで教育させ、ポルトガル語も不自由を感じない生活 ...

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地震と自然のかかわり(1)=サンティアゴ在住 吉村維弘央

タルカワノの港

 防犯を目的としたカメラの設置が町のあちこちに進み、さまざまな出来事の解明に側面的にかなりの成果を収めているらしい。スーパーマーケットあるいはコンビニ等に置かれている防犯カメラも、当初の目的は盗難の監視だったのだろうが、設置されたカメラはその被写体を選択するという訳では無いので、時として面白い現象を提供することになる。  この部 ...

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ニッケイ俳壇 (861)=富重久子 選

オンドル

プ・プルデンテ  小松 八景

南洲に煙突多し日脚伸ぶ
【「南洲に煙突多し」とは、ブラジルでは南にいくほど寒く防寒のため、ストーブを焚いたりペチカを焚いたりするので各家ごとに幾つかの煙突がある。北朝鮮では昔オンドルと言って、床の下に泥で火の通り道をつけどんどん焚口から薪を焚き、油紙の床を温めたものであるが...

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父の遺志を遂行した金城郁太郎の移民物語=上原武夫=(6)

 とうとう稲の穂先が枯れ始め、泣くに泣けない見殺しに胸が裂ける思いで、オテントさんを恨む。雨があれば仕事もあるがここしばらく雨を待つしかない。膨れ切れた手豆も石のように堅くなっている。慰めをかける母ちゃんに「その分子供たちが成長したから悔いはないよ」、と慰めあう夫婦である。とうとうその年は不作に終わる。夫婦共々年中働き収穫無しの ...

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