ホーム | 文芸 (ページ 131)

文芸

『朝蔭』 9月号

 『朝蔭』9月号(第431号)が発行された。 巻頭「句帳」(念腹)からその一句「夕蝉や子を呼ぶ牛の声を聞く」。「雑詠 寿和選」から六句「病む母に父が作りし韮雑炊」(山城みどり)、「孫真似て婆ちゃんと呼ぶ篭オーム」(杉本三千代)、「少し派手気にしつつ着る春の服」(太田智恵子)、「父の日や祖父を見知らぬ異国孫」(鈴木きゑ)、「柚子を ...

続きを読む »

アーリョ・ショウナン裏話=炉辺談話=荒木桃里=(4)

草原の牛(Foto: Pedro Bolle/USP Imagens)

 地元の牧場主たちは、牛を自由に放しておけば、一日中、足首を湿地に踏み込んでいると、足の爪際から病気に犯されるので、この土地は放ってあるのだそうだが、朝夕一時間ずつの放牧なら、何の支障もないはずである。また、家畜にとっては、朝夕のこの時間が満腹させるためには必要であることは、美幌高校の畜産科を経てきた者にとっては、常識であった。 ...

続きを読む »

“未病”とモリンガ (1)=モジ・ダス・クルーゼス 野澤弘司

 『未病』とは?まだ余り聞きなれない言葉ですが、未病とは読んで字のごとく、東洋医学ではまだ病気にはなっていないが発症する兆しが伺える体調を未病と称します。即ち病気ではないが健康でもない状態、自覚症状はないが検査結果に異常がある場合、反面自覚症状はあるが検査結果には異常がないなど、どうもマイス・オウ・メノスの症状の未病患者は、我々 ...

続きを読む »

カルドーゾ大統領の功罪=パラナグァ 増田二郎

 私はこのブラジルに、呼び寄せ移民として1953年に渡伯いたしました。来た当時は漠然と、祖父たちの仕事と同じように農業で身を立てて行くのだと思っていましたが、こちらの食べ物のあまりにもの油っこさに、腎臓炎をおこしてしました。それ以来、農村生活を諦め、15歳で町に出てある商店で住み込み小僧として働き始めました。 その3年後には、叔 ...

続きを読む »

アーリョ・ショウナン裏話=炉辺談話=荒木桃里=(3)

羊飼いのガウーショ(Foto: Duda Pinto/Fotos Publicas)

 単身青年のこの二人を呼び寄せてくれた石川庄衛は、この湖に面した土地の一部を借地して、種子栽培の農場を経営していた。この砂丘は、カマボコ状のゆるやかな丘になって海岸線と画しているが、反対側のつまり湖に面する斜面は、割り方地力があり、緑の雑草が繁茂している。石川はこの土地を八十アルケール借地して、タマネギとか、カボチャの種子作りを ...

続きを読む »

アーリョ・ショウナン裏話=炉辺談話=荒木桃里=(2)

にんにくイラスト

 今年になってこの地方は、アーリョの旋風が起こっている。それは、新品種として発見されてアーリョ・ショウナンが本年度始めて出荷してみて、サンパウロ中央市場で認められ、色艶といわず、身のしまり工合といわず好評を得、売れ行きは上々で高値をよび、その上、農務長官の認可も得て登録されたからである。 あまりの人気に食指を動かされた鹿さんも、 ...

続きを読む »

ニッケイ俳壇 (858)=星野瞳 選

アリアンサ  新津 稚鴎

激つ瀬のひっぱる風や木々芽ぐむ
草萌ゆる野やぽっかりと月浮かべ
鼻振って家の漫歩や蝶の昼
夜蝉鳴く泣き虫の樹が泣き止めば
貯水池に天から降って目高棲む
いさぎよく葉を落としイペ花仕度
水温む鶏が孵せし子家鴨に

【作者・稚鴎さんは来たる十月三日で百才になられる】

続きを読む »

死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(10)

山焼きして開拓した土地を捨てる地獄のような体験の果てに――

 そして、ブラジルのウチナーンチュであることを誇りに思っている。それにしても、「カッペン移民」は「無謀な移民であった」、と言い切って許されることなのか、と。 確かに、「無謀」と言われても仕方がない面があったことは事実である。それでは、何故この「無謀」が許され、71人家族423名もの県人同胞が送りだされたのか。その原因と社会的責任 ...

続きを読む »

『蜂鳥』

 句集『蜂鳥』326号が刊行された。 「蜂鳥集」より3句、「早春の明るき部屋に招き猫」(青木駿浪)「巣ごもりのケロケーロさけ耕せり」(酒井祥造)「後絶たぬ世の争ひや終戦忌」(上田ゆづり)。「旅吟 リオの遠景」(関山玲子)、「移住船の思い出」(富岡絹子)、「消えゆく日本語」(五味国夫)ほか。

続きを読む »

死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(9)

ビラ・カロン地区に定着した知花真勲・恵子夫妻とその家族

 しかし、言葉もうまくできないし、事情もつかめず、商売のやり方もままならず、結局やめて別の食品店に転業した。それもうまくいかず途方にくれているうちに、やはり自分は自分の「ティージェーク」で身を立てるしかない、ということで看板屋をはじめることにした。 こうしてビラ・カロンのアベニーダに開店した。開店まもない頃、カンポ・グランデから ...

続きを読む »