文芸
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死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(4)
ちょうど種蒔時期で寄せ焼きにいそしみ、初めての主食・米の種蒔で賑わい始めた。その意気込みは大きく期待に応えるかのように稲の発芽は思いのほか早やかった。 ところが、稲はなかなか伸びず、生育がおもわしく
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死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(3)
振り返ってみて、自分達が夢にまで見た入植地カッペンが、こんなにも難関で遠隔の地とは思いもよらなかった。 地図で見るブラジル大陸と、今辿ってきた現実の道程、その差はこれほどまでに予想に反するものかと、
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死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(2)
カッペンへの道―過酷・辛苦な道のり 見ず知らずの他人でありながらの親切心に、「イチャリバチョーデー(一度会ったら皆兄弟)」のチムグクル(真心)に胸が熱くなったことが思い出される。 駅で荷物を受け取り
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死線を越えて―悲劇のカッペン移民=知花真勲=(1)
出発 私のブラジル移住は、沖縄出発の時から平穏ではなかったように思う。 先ず、神戸の移民斡旋所で出国手続きや移住者への講習を受けるために船倉荷物を那覇港に残して私達は、手荷物のみを持ってチチャレンカ
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復員記=サンパウロ 建林成幸
復員とは、戦争が終わり兵士が故国に引き揚げることをいう。 今年、日本は戦後70年を迎えた。70年も経てば、人はみな高齢に達し、生き残った人は僅かで、戦争を知らない世代の時代となった。 私は大正15年
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想い出を暖めて「心の旅」=クリチーバ 田口さくお
私は老童卓球部の仲間である友人から、今NHKで『心の旅』という番組をやっていて、なかなか面白いからと教えられました。私は特別な番組がない限りあまりNHKは見ないので、知らなかったのです。 ある時、
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『ぶらじる川柳』
『ぶらじる川柳』206号が刊行された。 上口一歩さんの追悼特集より3句「世は無常惜しまれながら散って逝く」(五十嵐美佐子)「数珠を手にみ仏に会う旅に出る」(今立帰)「透明の羽ねを羽ばたき風にのり あ
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ニッケイ俳壇 (855)=富重久子 選
サンパウロ 平間 浩二
夢追ひしなべて移民の花珈琲
【今から百何年前に移民した人々は、戦後移民の我々とはちがって、珈琲栽培と言うしっかりとした目標があって、短期間