1935年開校とのことですが、それより以前に始まった日本語学校が何ケ所も有った様です。しかし、現在までも続いてるのは他に少ないのではないかと思われます。特に第二次大戦中の40年から46年までは外国語の検閲が厳しく、ほとんどの日語校は閉鎖されたそうです。 イタぺセリカ日語学校の場合、官憲責任者が親日的だった事も幸いして、何とか続 ...
続きを読む »文芸
梅崎さんが日ポ語選集発刊=出版祝賀会、15日栃木で
日系文学界で広く活躍する梅崎嘉明さんが、七編の作品を日ポ両語でまとめた『小説選集』(390頁)を発刊した。一冊80レアルで販売中。印刷部数は100部。 パウリスタ年鑑入賞作「佐代の周辺」、コロニア文学賞佳作「大根の花」など小説五編、「留置所にて」「終戦一年と父の死」の手記二編を収録した。小説に関心を持つ若者からポ語翻訳を要望さ ...
続きを読む »宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(13)
太一は自分では偏屈とはおもってはいないが、どういうものか人からは好かれないのであった、母は好いてくれたが、父からは嫌われ、弟妹たちからは疎んじられた。そしてはなからは逃げられている。 もしこれが、はなとの不縁が平和の時代だったら、それを機会に太一は家を出ていただろう。ところが彼が望んでいた大都会では、身のおきどころのなくなった ...
続きを読む »ニッケイ俳壇(849)=富重久子 選
ボツポランガ 青木 駿浪 余情なほ夕べとなりし庭四温【冬季に三日寒い日が続き、その後暖かい日が四日あるのを三寒四温と言うが、最近のサンパウロでも今年はそのような冬の気候が続いている様に思う。 この句は四温の夕暮れ時、家の庭に立ちしんみりとした想いをこめて、なんとなく安らいでいる作者の姿であろう】 一病の妻を看 ...
続きを読む »ブラジル日系文学会=『ガウショ物語』を刊行=非日系詩人の短歌集も
ブラジル日系文学会(武本憲二会長)からブラジル文学翻訳選集第2巻『ガウショ物語』(215頁)および、詩人ライムンド・ガデーリャ氏による短歌集『AQUI E ALEM DO HORIZONTE』(Escrituras出版、120頁、2015年)の日語版が発行された。 『ガウショ物語』は作家シモンエス・ロッペス・ネット(1865~ ...
続きを読む »宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(12)
この乞食は若い頃、馬喰をたつきとして世間をわたっていた。その間にかかわりあったかずかずの女たち、どちらかといえば身分の上のおなごとの遍歴の物語である。ーわたしは何人ものおなごを好きましたし、また好かれましたが、だれ一人としてうらみに思われたことはございません。この世で夫婦になれなかったのは前の世のさだめとしても来世ではかならず ...
続きを読む »祭り=グァタパラ 林良雄
普段は静寂の移住地。これが破れ喧騒に変わる日が年に数度あり、その最大が村祭りである。移住地の入植と1年の農作物のめぐみを祝う入植並びに収穫祭、さらに運動会と年初めの新年会を、毎年村をあげて催している。 今年もその村祭りの季節がおとずれた。祭りの幕開けに、先人を祀る拓魂碑の前で慰霊祭が執り行われる。53年を迎えた移住地だが、50 ...
続きを読む »護憲革命の思い出=サンパウロ 梅崎嘉明
7月9日はブラジル護憲革命記念日である。その革命最中の(1932年)7月26日に私たち800余名の移民が、大阪商船ラプラタ丸でリオ港に到着した。 リオは世界第3美港の一つとしてその頃から知られていて、移民たちはその都市に上陸して景観を満喫するつもりでいた。船から移住局へ上陸申請の無電を打ったが、先方からOKの返事が来ない。革命 ...
続きを読む »宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(11)
宿世の縁 二(続) 松山太一は、ひと月ほど前に、亡妻の一回忌をどのように行なうかについて考えていたのに、息子からその件について聞かれたときは、すっかり度忘れをしていた。 彼には折々このような現象がおきるようになっていた。 いまさらのように慌てた太一は、前にも世話になった嫁の兄に、坊さんの都合をきいてくれるよう頼んだ。千恵の命日は ...
続きを読む »宿世(すくせ)の縁=松井太郎=(10)
おれたち夫婦は五十年にちかく、悲喜ともどもに身にうけて暮らしてきながら、ついに心は通じあわなかったのかと、太一は慄然として自分の孤独を知るのであった。 四十九日の法要はすみ形見分けもすんだのに、太一は千恵のいない日常には慣れそうにもない。妻の不在という現実には屈しても、一日のうち何処かで何かで考えごとをするとかならず千恵がかか ...
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