友人の常川勇久(つねかわ・いさく)さんより、「おい、こんなの興味があるか?」と渡された新聞の切り抜きはコピーの字もぼけかけ、紙の色もすでに赤茶けた古いものだったが、これを一読して吃驚仰天した。 このコピーは勇久さんのお父さんが生前大事にしまってあった遺品の一つで、書かれていたのは元在チリ公使、大使、在ボリビア大使等を歴任された ...
続きを読む »文芸
移民・棄民・貴民・日系人=マリンガ 園尾彬
私は高卒後1年半を八幡製鉄所事務員として働いた後、1958年兄の家族と共に農業移住者として船で来ました。来た当初は、「昔の『移民』とは違う。自分は戦後教育を受けた新しい『移住者』なのだ」という自負がありました。しかし、当地では『新移民』と区分されました。 農場で2年働いた後、運命に流されるまま、マリンガ、イパチンガ、日本移住事 ...
続きを読む »ガウショ物語=(39)=密輸に生きた男=《1》=強いものが支配する時代
その痩せた体はすで九〇歳に手が届こうとしていた。だが、イビロカイ川のほとりを拠点とする密輸クループの頭領だったジャンゴ・ジョルジの度胸はいまだに衰えを知らなかった。 この向こう見ずなガウショは、生涯ずっと国境の広野を行き来して過ごした。真昼の日差しの下を、青白い月の光りの中を、夜の闇の中を、明け方の立ち込める霧の中を……。 豪 ...
続きを読む »ニッケイ俳壇 (845)=富重久子 選
サンパウロ 間部よし乃 冬帽子買って話が又弾み【どこか友達と旅をした時の事であろうか。賑やかにあれこれ帽子を選んでは被ってみて、皆それぞれの好みの帽子を買い満足して店を後にすると、またまた話が弾み愉しい旅が続いていく、というまことに女性らしい和やかな佳句。】 思ひ出の田舎へ旅を移住祭【六月十八日は移住祭でし ...
続きを読む »ガウショ物語=(38)=勝利の天使=《2》=彼の名はベント・ゴンサルヴェス
わしは仔牛のあばら肋骨に食いついたダニよろしく代父にぴったりくっ付いていた。代父が行くところについて行き、通りすぎればわしも通りすぎ、攻撃すれば攻撃し、退却すればわしもそうした。 そんな騒ぎの最中に、わしのポンチョはときどき風で膨れあがり、灰色の旗が風で空に舞うように、バタバタと翻った。 ベント・ゴンサルヴェス少佐は味方が団結 ...
続きを読む »想い出を暖めて「望郷」=クリチーバ 田口さくお
『天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも―阿部仲麿』 この和歌は『百人一首』の中にある詩だが、仲麿が16歳の時(716年)、遣唐使留学生に選ばれ唐に入りました。仲間が日本に戻った後も唐に残り、玄宗皇帝から籠をうけ、30年以上も滞在した後、来唐した遣唐使と一緒に帰国することとなった。 唐の友人達が送別の宴を開いてくれ ...
続きを読む »ふるさと=サンパウロ 梅田禎一
『ふるさとは遠きにありて思うもの』 そんな一句を初めて読んだのは少年期でしたが、その真意が解せず八十路を越えた現在になって何となく思い当たる様になりました。 2才の年、父母と4人の姉と共に生まれた日本を離れブラジルへ移住。その翌年、母は5人の幼子と若い父を残し亡くなりました。その後の父は13才の長女を筆頭に家族のために一生懸命 ...
続きを読む »ガウショ物語=(37)=勝利の天使=《1》=まさか! 突然の夜襲
あれはイツザインゴーの戦の後のことだった。サン・ガブリエルのずっと先の、イニャチウン湿原の向かい側にあるロザリオの渡しでのことだ。お前さん、イニャチウンて知らないのかい? 蚊のことさ。うまい名を付けたもんだよ。 イニャチウン湿原、いやー参った! 空中に舞う蚊が煙のようだったな! わしはまだガキでせいぜい一〇歳位だっただろうな。 ...
続きを読む »パナマを越えて=本間剛夫=107 (終)
※『追記』※帰国して半年余りが過ぎた時、思いがけなくエスタニスラウから部厚い便りを受けとった。それには私のボリビア出国以後のゲバラに関する詳細が述べられていた。その大要を箇条書きで記すことにしよう。※ボリビアは一九六七年一月二十六日死刑を廃止しているが、ゲバラ殺害はその十年後であるにも拘わらず。殺害の正当な理由の説明も ...
続きを読む »ガウショ物語=(36)=赤いスイカと青いヤシの実=《4》=即興詩人をよそおって
「それはあしたにしておけ。今日は祝宴だ。ここに居て、婚姻を祝って葡萄酒を飲んだり、菓子を食ったりするがいい……。作業場へ行ってみな……」 「へぇ、親方。有難てぇことで。おれ、必ず、乾杯の仲間入りをさせてもらいます……」 「分かった、分かった。行け!」 狐は鶏小屋に入り込んだ……。 作業場で馬を降りたとき、シルーの脚は鉛のように ...
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