そのとき傍らにいた三十歳ほどの男がエスタニスラウに近づいて握手を交わしながら私に冷たい視線を投げた。エスタニスラウはその青年と旧知の仲なのだろうか。そのことを質そうとしたが、彼が同伴者の紹介を始めたので、それはあとに譲ることにした。青年は私には挨拶しようとせず、迎えの車に三人を乗せようとしたとき、エスタニスラウは私の手を握りな ...
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パナマを越えて=本間剛夫=80
その夜、コーチの顔が唐突に私の瞼に浮び上がった。コーチは今、どこにいるのだろう。三年間、殆ど彼の存在を忘れていたのに、珍しく彼は笑顔を作って眼の前に立っていた。ホンジュラスからパナマ、横浜へと約二カ月の航海中、私を苛立たせた得体の知れぬ行動をとっていたコーチが急に懐かしく憶い出された。コーチは生まれ故郷のボリヴィアへ、エリカと ...
続きを読む »ニッケイ俳壇(838)=星野瞳 選
セーラドスクリスタイス 桶口玄海児 母作るボリンニャデシューヴァ夏休み雨降れば人恋しがる山家猫マンゴー樹をマリタカの群れ襲いたるブラジルの萩水昌村の霧宿しインジオの少年を呼びラン捕りに(ランは蝦蟇) 北海道・旭川市 両瀬 辰江 花の芽を子供待つごと眺めおり早春の日差しの窓に鉢移すものの芽を散歩の道で楽 ...
続きを読む »ニッケイ歌壇 (488)=上妻博彦 選
モンテ・カルメロ 興梠 太平 知人より送って来たる自分史にそんな歳かと気づいたあの日八十まで生かされて来て六人の孫もすこやか感謝の気持久しぶり畳・布団に横たわりしみじみ思う昔の事を仏前に理解出来ずも唱うれば般若心経はささえとなりぬ皇后の御歌(みうた)を拝し言の葉の奥床しさに魅了されたり 「評」この五首の作品 ...
続きを読む »パナマを越えて=本間剛夫=79
エリカ姉妹の処置をめぐって敵対してきた副官とは思えない恩讐を超えた炎々とした声色だった。二人の和解は私にとっても嬉しかった。二人の間に蟠(わだかま)りの種子を蒔いたのは私だったからだ。「そうですな、そうしましょうか……」 中尉が素直に応じた。 司令部に着くと、予め科長から命令が出ていたのか、下士官や兵たちが厨房で宴会の準備に忙 ...
続きを読む »ニッケイ俳壇(837)=富重久子 選
サンパウロ 広田 ユキ 四月馬鹿不老長寿てふ薬飲む【「四月馬鹿」は元々欧米の習慣で、四月一日の午前中に軽い嘘をついて人を騙しても許されると言うこと、又騙された人を言う。しかしその風習も最近は余り聞かないようになった。 この句の様に、私共後期高齢者になると子供たちにあれこれと薬を飲まされる。やれビタミン剤、 ...
続きを読む »パナマを越えて=本間剛夫=78
私の胸の中で息絶えた黒田上等兵の血ぬられた小石が上衣のポケットにある……。私は無意識に、その小さい石魂を撫でていた。そのとき、不意に、洞窟に埋れた同僚たち、それから不十分な看護の下で死んでいった三百名にちかい患者たちの思い出が一度に甦った。(このままでは、ブラジルへは帰れない……)私は自分に言い聞かせ、自らの心を確かめようとし ...
続きを読む »ガウショ物語=(26)=娘の黒髪=《1》=馬に乗った別人になる男
「お前さん、わしが長い間、女の髪で作った馬の轡や端綱を使っていたこと知ってるかね?……もっとも、そのことにまったく悪意はなかったんだが」 ずっと後で、髪の主が死んだと聞いた。それを知ってすぐに馬で駆けつけ、通夜から埋葬まで付き合った……。遺体を墓穴に降ろしたとき、まだピチピチの娘だったころの髪で作った轡や端綱を柩の上に放り込んだ ...
続きを読む »パナマを越えて=本間剛夫=77
エリカは瞼を瞬いた。 そのとき庶務の兵隊が入って来たので話は中断した。今も君を愛しているというには、今のエリカは遠く高い存在であることを悟らなければならなかったが、それでも彼女の愛を確かめたかった。 ◎ 翌日、部隊の使役兵による第二病棟の発掘作業が進み、中村中尉、三浦軍曹、荒川、細谷両上等兵、少年兵などの屍も発見 ...
続きを読む »パナマを越えて=本間剛夫=76
その情報の中で、日本人の海外旅行が二十年間禁止されるという私にとって暗いニュースもあったが、私は感情の乱れを抑えるように努めた。上司や戦友たちを刺激したくなかった。司令部からは毎日命令が出され、それは連合軍命令として各隊に伝達された。師団糧秣(りょうまつ)庫の解放、銃火器の集積、軍用建物の破壊と全島の清掃などが次々と命令された ...
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